記者の眼

村上龍の見た夢

タブレット普及で「電子芸術」が開花する

  • 鵜飼 秀徳

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2012年10月24日(水)

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 「昼間に寝るな。寝る時は頭を下向きにするな。夜には夜具をよく掛けて、頭を休め、気分は陽気に保て」――「アトランティコ手稿」より

 天才発明家であり、芸術家でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチは、「眠り」へのこだわりは相当なものだったようだ。その実、天才の睡眠は、4時間程度だったと伝えられる。忙しい人は、短い時間でどれだけ集中して眠れるかが肝要。睡眠時間を削って創作活動に没頭した、天才に想いを馳せたい。

現代人の睡眠をITがコントロール

 さて、現代ではどうか。

 枕元に、ケータイやタブレットを置いて寝ている人は、案外、多いのではないか。今や「目覚まし時計」で朝を迎えるなんて、少数派だろう。眠っている間も、IT機器が手放せない時代になった。

 そこで、面白いアプリが出てきている。「安眠アプリ」だ。アップルのiPadの普及に加え、今秋に予定されているアマゾンのKindleの日本上陸を見込んだ、先取り現象だろうか。対象は主に、若い女性だ。

 「安眠アプリ」とは、iPadなどのタブレットやスマートフォンの機能と連動した、映像コンテンツのこと。ひと昔前に流行ったヒーリング音楽のタブレット版がそれだ。

 雨粒の映像と雨音が流れ、そこはかとないもの寂しさを感じつつ、眠りに入れるもの。星空とイメージ音楽が組み合わさったアプリなど、無料でダウンロードできるものから有料コンテンツまで様々だ。

 中には、人間の眠りのメカニズムと連動させた「安眠アプリ」も登場した。

スマホが「寝返り」もキャッチ

 少し、人の眠りの仕組みをご説明しよう。まず、ノンレム睡眠(深い眠り)で始まり、以後、レム睡眠(浅い眠り)とノンレム睡眠を90分ごとに繰り返している。

 寝起きをスッキリさせたければ、ノンレム睡眠に入るタイミングで起きるのがベストとされる。つまり、眠りに入って7時間30分後に起床するのが、理論上、最適だ。だが、個人差や寝入りのタイミングのずれなどがあるため、ノンレム睡眠直前の起床をコントロールするのは難しい。

 このアプリはスマホを枕元に置き、寝返りを打つなど振動を感知して人の睡眠状態を判断し、絶好のタイミングで目覚まし機能が作動する。

 「いらない機能が多すぎ」との批判もある日本製多機能スマホだが、アプリと連動させれば、ひょっとして眠りに役に立つ機能が、潜んでいるかもしれない。

村上龍の安眠アプリ

 さて先日、作家の村上龍氏と原稿のやりとりをさせてもらった。驚くことに村上氏も最近、安眠アプリを開発し、販売を始めたという。主にiPhone、iPad、iPod touchに対応する。

村上氏の開発した安眠アプリ。「https://itunes.apple.com/jp/app/id554984836?mt=8」にて販売。

 iPadで体験してみた。村上氏のメッセージとともにアプリが起動し、色んなクラゲが浮遊する映像と、ショパンの心地よい音楽が流れる。仕事で疲れた頭や体を解きほぐし、出張のリラクゼーションアイテムとしても面白い。

 このように、近年の村上氏は、電子メディア事業に対して、とても強い関心を示しているようだ。

電子書籍事業の副産物

 ちょうど2年前、日本では「まだ時期尚早」と言われた電子書籍の開発、販売会社を真っ先に立ち上げたのも村上氏だった。

 当時、氏は記者会見で「出版社は紙の本を作るプロであって、電子書籍のプロは少ない」語り、ITベンチャーと組むことを発表。音楽や動画と組み合わせた「リッチコンテンツ」を盛り込める事が、電子書籍の強みであると、強調した。

 音楽家の坂本龍一氏のオリジナル楽曲も盛り込み、本好きだけでない新たな読者層への開拓にもつながると目された。

電子書籍版『限りなく透明に近いブルー』では、村上氏の生原稿も読める

 その後、2年間で、村上氏は着々と、電子書籍を増やしてゆく。自身の過去の作品のほかにも、作家仲間の瀬戸内寂聴氏、よしもとばなな氏らの作品も電子化し、氏の会社で販売している。

 一般書籍では盛り込めないヴィジュアル要素もふんだんに盛り込む。氏の代表作『限りなく透明に近いブルー』の電子書籍版では、生原稿が読める。文字だけを追う一般書籍と、電子書籍とでは、同じ作品でも感じ方が大きく異なる。

 翻って、村上氏が開発した安眠アプリは、電子書籍開発の流れの中で生まれた「副産物」といえるかもしれない。

電子書籍は「電子芸術」

 電子書籍における「文学」は、もはや別のジャンルを形成しているのではないか。

 「電子芸術」と呼べばよいだろうか。文字、音楽、映像が渾然一体となって、読者を空想世界へと誘う。そして、過去の数々の文学作品も、電子化された場合、どういう表現方法になるのか見てみたい、とも思う。新刊だけでなく、過去の作品が流通に乗らない限り、電子書籍の広がりは見込めない。

 だが、それにはいくつものハードルがある。

 ひとつは著作権問題だ。日本は米国とは違い、著作権はコンテンツを生み出した作家や写真家などに帰属していることが多い。過去の作品を電子書籍化する場合、出版社などは1人1人、作家や写真家らの許諾を取らなければならない。電子書籍に嫌悪感を示す保守的な作家も少なくない。

 また、ビジネスとして成立するかどうかの見極めにも、出版社の逡巡が続いている。電子書籍事業を押し進めることは、本業を駆逐するのではないかという懸念があり、本格的な始動モードに入れずにいる。

 出版に関わる関係者の様々な利害が、電子書籍の普及の足かせになっている。

 しかし、ブレークスルーは端末からやってきそうだ。

 現在のiPadに加え、今秋中にアマゾンのKindleが上陸すると見られる。グーグルやマイクロソフトも年内に最新タブレットを投入する予定だ。楽天やソニーなどは、電子書籍専用タブレットを既に発売している。

 ここへきて、国内タブレット市場が、一気に開花しようとしている。

 その潮流に、今度こそ、電子書籍が乗る事ができるのだろうか。

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