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第1回「鉄屋が鉄をつくるのに事務所なんか要るか」

2012年7月6日(金)

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 「どんな逆境でもくじけることなく 人をうらやむこともなく いつも謙虚で いつも笑って 家族を大切にし 自分に厳しく 人に優しく 信じた道をひとすじに 西山弥太郎(注1)のように生きよう」

 川崎製鉄(現JFEスチール、注2)初代社長西山弥太郎の生涯を描きながら心に浮かんだ言葉である。

昭和28年6月17日千葉製鉄所第一溶鉱炉に火入れする西山弥太郎(写真提供:JFEスチール)

 日本人がまだ敗戦の虚脱感の中にあった昭和25年、西山弥太郎は、戦後初の臨海製鉄所を千葉市に建設する計画を発表した。戦後の資金不足・物不足の中で、資本金5億円の会社が163億円の製鉄所を建設するという計画に対し、「暴挙」、「二重投資」といった激しい批判が湧き起り、「法王」と呼ばれるほど権勢をふるっていた一万田尚登日銀総裁からは「建設を強行するなら製鉄所の敷地にぺんぺん草が生えることになる」と毒づかれた(実際にはぺんぺん草ではなく「雑草」といった模様)。

 しかし西山は「だれが反対しようと、やると決めたらやるんだ。わたしに金を貸さん人がいても、協力せん人がおっても、日本一立派な従業員を持っているのだから、絶対にやれるよ」と、毫もひるむことなく、給料を遅配するほどの資金不足に喘ぎながら、千葉製鉄所建設を成し遂げ、日本の高度経済成長の扉を開いた。

たぐいまれな先見性と変わらぬ不動心

 大正8年に東京帝国大学工学部冶金科を卒業し、神戸の川崎造船所に就職した西山は、鉄ひとすじの生涯を生きた。自己宣伝が嫌いで、日経新聞の「私の履歴書」執筆も固辞し、勲章も辞退しようとし、書の類も残さず、それゆえ世間に知られていない。しかし、昭和41年に亡くなってから46年経つ今も、生前彼に接したすべての人々が西山とともに働いたことを誇りにしている。『鉄のあけぼの』執筆のために取材した70代、80代、あるいは90代の川崎製鉄OBや関係者が西山弥太郎の思い出を語るときの眼差しは今も夢と希望で輝いていた。

 経営者としての西山の第一の特色は、たぐいまれな先見性といかなる状況でも変わらぬ不動心である。それらは、終戦前後の困難な時代の西山の言動によく表れている。

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「西山弥太郎の生涯 鉄ひとすじの男」のバックナンバー

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「第1回「鉄屋が鉄をつくるのに事務所なんか要るか」」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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