• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

第3回「色んな人がいるが、その人のいいところだけを見て使いなさい」

2012年7月20日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

第1回から読む)
第2回から読む)

 西山弥太郎は昭和13年に44歳で川崎造船所製鈑工場(川崎製鉄の前身)の所長になったときから73歳で亡くなるまで会社のトップにあり、業界やマスコミの間では「天皇」と呼ばれた。会社の隅々まで知悉し、細かい事項の決済や課長以上の人事のすべてを自ら取り仕切っていた西山は確かにある意味で「天皇」だった。しかし、西山亡きあとも藤本一郎が二代目社長として立派に務め、その後も会社は発展を続けた。「天皇」の下でも数多くの人材が育ったのである。

 その主な理由は、西山が何事も徹底的に社内で議論した上で決めていたことである。また、議論の際は、平社員であっても堂々と意見を述べるよう奨励され、上は社長の西山から下は新入社員まで、全員が対等の立場で意見を戦わせ、最良の結論を出すのが会社の伝統になっていた。

昭和37年11月水島製鉄所建設会議、左から2人目が西山弥太郎、3人目が藤本一郎(2代目社長)(写真提供:JFEスチール)

 西山が出席する「御膳会議」は、前のほうにすわった部長クラスが一通り意見を述べると、西山はゆっくりと全員を見回し、「こう見てると、お前ら、何かいいたそうだなあ。遠慮なくいってみろ」と若手に発破をかける。

 すると若手の一人が「部長はこのようにおっしゃいましたが、わたしはそうは思いません」と切り出し、侃々諤々の議論が始まるのが常だった。こうした議論にもとづき、千葉製鉄所のレイアウト(工場配置図)は60回、水島製鉄所のそれは49回書き直され、世界銀行も激賞した高効率の輸送・製造システムがつくり上げられた。

図面には容赦なく赤鉛筆を入れた

 千葉製鉄所の建設では、西山の専門である平炉に関して西山、取締役副工場長の植山義久(のち副社長)、製鋼課長岩村英郎(のち三代目社長)、同係長八木靖浩(のち四代目社長)らの間で長期間にわたって激しい議論が戦わされた。

 植山や岩村らは、丁寧に描いた図面に西山が容赦なく赤鉛筆を入れるのでむっとなったり、西山から「お前、ステファン・ボルツマンの法則(平炉の熱の輻射に関する法則)知っとるか?」と訊かれて、慌てて大学時代のノートを読み返したりした。

 固定式平炉でいくか、傾注式平炉でいくか侃々諤々の議論があり、植山が主張した固定式にすることで西山も納得した。容量に関しては、米国の大量生産方式を踏まえ、最低200トンにすべきと植山は主張した。

 これに対して、西山が「100トン以上の炉をつくることは相ならぬ」というので、植山が「なぜですか?」と訊くと、「長年、葺合工場で25トンとか35トンの炉で、スコップを持って裏壁にドロマイト(苦石灰)を投げていた者が、200トンの炉をつくって、その作業ができるか」という。

「西山弥太郎の生涯 鉄ひとすじの男」のバックナンバー

一覧

「第3回「色んな人がいるが、その人のいいところだけを見て使いなさい」」の著者

黒木 亮

黒木 亮(くろき・りょう)

作家

1957年、北海道生まれ。早稲田大学法学部卒、カイロ・アメリカン大学(中東研究科)修士。銀行、証券会社、総合商社に23年あまり勤務して作家に。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

リクルートは企業文化そのものが競争力です。企業文化はシステムではないため、模倣困難性も著しく高い。

峰岸 真澄 リクルートホールディングス社長