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「ここまで、我らの力で成り上がりおって、皆殺しだと!」

【10】第二章 何進5

2012年8月31日(金)

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【9】第二章 何進4から読む)

 皇帝宏の諡(おくりな・死後家臣から贈られる名)は霊帝(れいてい)とされた。「霊」の文字を贈られた君主で、聡明な人物はいない。行状から考えれば、妥当であろう。

 ここで、次期皇帝の座を巡って対立するのは、何皇太后が産んだ史侯(劉弁)と、故王貴人の一子劉協である。前者は何大将軍と宦官らが支持し、後者の後盾は董太皇太后と董重など少数である。

 これだけ見ても、どちらが有利かは火を見るよりも明らかだ。したがって、程なくして史侯(劉弁)の即位が決まってしまった。もう、皇帝弁と表記すべきである。

 宮廷の二大勢力を背景にすれば、これはかねてからの筋書どおりである。そしてこの先の展開も、宮廷人には読めていたことが起こる。それは、何進と宦官勢力の対立だ。

 ただ、一言添えねばならないのは、本来外戚と宦官勢力は、並び立たないのである。後漢の過去を遡(さかのぼ)れば、外戚と宦官の対立構造がずっとつづいている。章帝、和帝、安帝、順帝の外戚、竇(とう)氏、トウ(登/おおざと)氏、閻(えん)氏、梁(りょう)氏らは、皇帝が崩御した後、次の幼帝を輔弼(ほひつ)するという口実で、権勢を強めていった。

 しかし、その幼帝も成長すると権力奪取を志し、外戚を排除しようとする。そのとき手助けしたのが宦官であった。彼らは事務に精通し、どの書類を揃えれば兵権奪取の手続を完了さられるかを知っている。

 その密議は後宮でなされた。皇帝以外の男子は絶対に入れないからだ。当然ながら宦官は、その限りではない。こうして外戚が倒され、論功行賞がなされる歴史が繰り返された。

 宦官が権力を握る機構は、上のような経緯である。だから、外戚とは犬猿の仲なのだ。だが宦官と何氏は、ここまで珍しく利害が一致してきたのである。だから対立しても、何皇太后はまだ宦官に好意的だったのだ。

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「「ここまで、我らの力で成り上がりおって、皆殺しだと!」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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