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「朱将軍と皇甫将軍が長社で黄巾賊を撃破されました」

【12】第三章 孫堅2

2012年9月4日(火)

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【11】第三章 孫堅1から読む)

 黄巾の乱鎮圧に当たった盧植(ろしょく)や朱儁(しゅしゅん)、皇甫嵩(こうほ・すう)といった将軍たちは、根っからの武人ではない。どちらかといえば、清流派の文人である。清流とは、宦官の汚職政治(濁流)と距離を措(お)いた者の意である。

 宦官が権力を握る過程は、前述したとおりだ。幼帝時代の後見役だった外戚が、皇帝の成長に伴って権力を返還しないから、彼らを排除するため、青年皇帝は事務処理に長けた宦官らの力に頼ったのである。

 論功行賞の結果、宦官の地位が大いに上がった。だが、彼らが権力を握るに従って、蔓延(まんえん)したのは賄賂政治だった。性欲を喪くした分、金銭欲や物欲に異常なまで執着し、そのまま政治の腐敗に直結した。

 それを正そうとしたのが、清流派である。彼らは無論のこと、外戚政治を再現しようとしたわけではない。宦官専横の金権体質を廃し、皇帝を戴(いただ)いた三公や九卿、百官が仕切る政治を標榜したのだ。

 そのような動きを、槍玉に挙げられる宦官が放っておくはずはない。彼らは暗愚な皇帝を誑(たぶら)かし、清流派を謀反人として捕らえて弾圧した。それが党錮(とうこ)の禁で、霊帝即位直後が一番烈しかった。

 清流派は朋党を組んで議論しあったので、党人と呼ばれた。党錮とは、党人を拘束するの意である。

 その後も、清流派はなかなか政治の中枢に参入できず、ようやく武官の身分を与えられたに過ぎなかった。つまり、文武両道に通じねば、なかなか世に出られなかったのだ。それが今回に至って、盧植や朱儁、皇甫嵩らが将軍になった経緯である。

 さて、孫堅の陣営では、華西で黄巾賊との交戦の最中、大将たる彼が行方不明になって、部下が騒いでいた。

 部隊長の程普(ていふ)や朱治(しゅち)、韓当(かんとう)、黄蓋(こうがい)らは、頻りに周囲を見渡していた。すると、孫堅の愛馬が駆けてくる。その特長ある葦毛は彼らの前で止まり、前脚の蹄(ひづめ)で土を敲(たた)いて首を巡らせる。その仕草は、付いて来いと言わんばかりだった。

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「「朱将軍と皇甫将軍が長社で黄巾賊を撃破されました」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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