• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「孫堅が残れば、狼を追って虎を養うも同じです」

【15】第三章 孫堅5

2012年9月7日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

【14】第三章 孫堅4から読む)

 孫堅の頭上に青空が拡がっていた。だが、頭の中は、もっと真っ白な空洞ができたようだった。董卓が、一旦即位した皇帝弁を廃し、王夫人の産んだ劉協を即位させたからだ。

 それは何進が暗殺され、何氏の力が地に墜ちたことを物語っている。いや、皇帝弁のひととなりもある。彼は史子眇の道場で育ったため、礼儀作法を弁(わきま)えなかった。

 無礼な董卓に非難される義理はないが、彼にさえ呆れられる態度を取ったようだ。

 それはともかく、洛陽以外に勢力を張る軍閥は一斉に反発し、董卓の号令に従おうとはしない。彼らは、袁紹や袁術、曹操を中心に反董卓連合を結成する動きを示していた。

 長沙太守を拝命していた孫堅も、彼らに呼応して兵を北へ向けた。それは、董卓に悪印象を抱いていたからだ。だが、彼は袁紹や曹操らが集まる酸棗(さんそう・河南省延津)へは行かず、荊州刺史の王叡(おうえい)を討った。日頃、孫堅を軽んじていた怨みを晴らしたのだ。

 孫堅の軍が宛の郊外に駐屯すると、南陽郡太守の張咨(ちょうし)が挨拶に罷り出た。宛(えん)は、かつて黄巾賊に占領され、朱儁(しゅしゅん)と孫堅が奪還している。したがって、董卓攻撃に際して、食糧提供を依頼されていた。ところが、そんな義理もあらばこそ、一切用意がなかったので、孫堅は彼を処刑した。

 南陽を平定した孫堅は魯陽(ろよう)まで兵を進め、袁術と会見した。洛陽を南(約100km)から睨める位置は、董卓に脅威を与える。また、袁家は歴代漢朝の大臣を務めた名家で、地方官の任命権者でもあったらしい。

 「破虜(はりょ)将軍と予州刺史の地位を与える」

 換わりに、南陽郡をくれというのが、袁術の要求だった。孫堅は承諾するが、洛陽攻めの食糧援助を条件として示した。無血入城するには、充分な申し出である。

 孫堅は魯陽で訓練を繰り返し、攻撃準備を万端調えた。そして壮行会を開いていると、突然董卓の遊撃隊から攻撃を受けた。彼は慌てず矢を大盾で受けた。そうやら陽人(ようじん)に陣を敷いた胡軫(こしん)の部下らしい。そこで、夜襲をかけた。孫堅の策戦で、赤い縮絨(フェルト)のサク(巾/責)を部下の祖茂(そぼう)に被せ、第一派の攻撃で遁走させた。

コメント0

「サテライト「三国志」群像」のバックナンバー

一覧

「「孫堅が残れば、狼を追って虎を養うも同じです」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック