(【17】第四章 董卓2から読む)
洛陽の周囲には、函谷(かんこく)、小平津(しょうへいしん)、孟津(もうしん)、旋門(せんもん)、カン(環/王は車)轅(えん)、大谷(だいこく)、広成(こうせい)、伊闕(いけつ)という名の関所が、計八つあった。
袁紹や曹操ら、気鋭の校尉(こうい・将軍候補の隊長)が担当するということで、西園八校尉(せいえんはちこうい)と呼ばれ、前年の中平5年(188年)に置かれていた。
皇帝宏の崩御で、持ち前の機能が発揮されると期待もされていた。だが、やや見込み違いな事件が起こってしまった。
原因は、最高権力者の何進が、宦官を一掃しようと考えたことに始まる。何皇太后は、これまでに宦官から多くの恩義を受けているとして、異母兄の行動を牽制した。
随分律義なことだが、それを諦めさせるため、何進は周辺の軍閥を洛陽へ呼んだのである。荒くれ男の大掛かりな軍事行動を見せつけられれば、何皇太后も意見を引っ込めざるをえないと、何進は踏んだのだ。
董卓も、そのような経緯から呼ばれた一人であるが、当人はそれを百も承知である。他には、并州(へいしゅう)刺史(しし)の丁原(ていげん)らがいた。
「洛陽へは行くが、何も急ぐことはなかろう」
董卓らしい発想で、彼は「赤兔(せきと)」と名づけている愛馬を進めた。
「こいつは、前漢の武帝が必死になって手に入れた汗血馬(かんけつば)の子孫でな」
彼は、部下の樊チュウ(禾/周)や張済(ちょうさい)に話しかけていた。そんなとき、斥候役の秦宜録(しんぎろく)が、とんでもない知らせを持ってきた。
「何進様が、宦官どもに暗殺されたということで、洛陽の宮中は大騒ぎです」
「何とな。これは面白いことになってきた」
董卓は哄笑しながら、歩調をやや速めた。無論、入れ替わり立ち替わり斥候を立てる。
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