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「儂の人相は、尊いことこの上なきじゃ」

【19】第四章 董卓4

2012年9月13日(木)

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【18】第四章 董卓3から読む)

 皇帝宏が崩御して霊帝と諡(おくりな)された189年は、劉弁の即位で元号が中平6年から光キ(喜-烈火)に、また彼の廃位で昭寧(しょうねい)と変わり、劉協の即位で永漢(えいかん)元年となった。

 ところが、年末には総てが御破算となり、中平6年に戻っている。尚も、年が改まった190年には、初平(しょへい)元年と呼ばれることとなった。これらから、この一年の混乱振りが推し量れる。だが、董卓からみれば、総てが彼にとっての順風であった。

 彼の意見で皇帝の首を挿(す)げ替えたのであるから、自らも位人臣を窮めて、相国(宰相)となっていた。そうなると、人というものには奢(おご)りが出てくる。

 彼は、人相鑑定士の言葉を持ち出す。

 「儂の人相は、尊いことこの上なきじゃ」

 その言葉が謀反に通じると、宮廷人が怖れた頃、董卓は何苗(かびょう・何進の義弟)の墓を曝(あば)いて、遺体を分断した。義兄に逆らって宦官の味方をしたのが理由だった。返す刀で母の舞陽君を処刑し、苑(お狩り場)の垣に曝(さら)す暴挙も行った。

 これらの行き過ぎに怒った壮士が、董卓暗殺を謀った。越騎校尉の伍孚(ごふ)は、宮廷人が董卓を怖れてなすがままに任せているのに義憤を感じ、一人で暗殺に奔った。しかし、突きたてた剣が厚い鎧に阻(はば)まれ、思いが遂げられなかった。これも、董卓が運を味方に引きいれた一幕であった。

 いや、更なる強運は、養子にした呂布である。彼の強さは、見かけではなく本物だった。

 この年の、世に「シ(三水/巳)水関(しすいかん)の戦い」と呼ばれる攻防戦は、洛陽から脱出した反董卓軍と董卓軍の睨み合いだ。派手な兵の動きはなく、膠着(こうちゃく)状態が実際の姿である。

 袁紹が仕切る反董卓軍は酸棗(さんそう)から徐々に進軍し、シ(三水/巳)水関を臨む高台に布陣した。だが、誰も反董卓の旗幟(きし)を鮮明にしただけで、積極的に撃って出て関所を突破しようとは考えなかった。彼らには、董卓の実際の兵力が判らず、徒(いたずら)に消耗(しょうもう)せぬようようすを見ていたのだ。

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「「儂の人相は、尊いことこの上なきじゃ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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大量陳列、大量販売というのがある程度限界にきているのかなと思います。

松﨑 曉 良品計画社長