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「経学に通じた文武の才をお使いください」

【26】第六章 蔡ヨウ(巛-邑)2

2012年9月25日(火)

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【25】第六章 蔡ヨウ(巛-邑)1から読む)

 似たような男の噂が流れてきたのは、皇帝(劉志・桓帝は死後の尊称)の崩御(ほうぎょ)があった後だった。

 「青州(せいしゅう・現在の山東省北部)の平原郡で、親の服喪を3年して、その後で律義に上司だった太原郡太守の服喪まで3年した男がいるそうな」

 「そうか、そいつは太原郡で役人してて、太守の方が平原の出身者だったわけか?」

 「そうだ。他所の地で服喪3年は、そりゃきついかろう」

 蔡ヨウ(巛-邑)が書斎で読書していても、自然にそのような話が入ってきた。彼が服喪を3年したとき、変わり者などと陰口を叩かれたものだったが、世間にはまだ上を行く者がいると、嬉しかった。

 それと、今さらながら判ったのは、身近な変人は遠ざかるにつれて偉人のように言われることだ。その平原と太原を股に掛けた男の噂はなおもつづいた。

 「太原郡じゃ、趙津(ちょうしん)ってやつが無法の限りを尽くしてたんで、そいつが捕らえて処刑したんだそうだ」

 「それは大したもんだ。それで、なんてやつなんだ?」

 「王允(おういん)って名前だそうな」

 突然飛び込んできた名前を、蔡ヨウ(巛-邑)は記憶にしっかり畳み込んだ。どこか、自分と共通した何かを感じたのであろう。

 彼は書物に目を落としたが、王允の噂がつづいていた。それによると、趙津の身内が復讐のため、宦官に賄賂を贈って太原郡太守の悪口を書いたらしい。つまり、誣告(ぶこく・嘘の告発)を受けたのだ。その訴えが桓帝に見せられ、宦官どもの書面を真に受けた桓帝は、太原郡太守を処刑したという。

 王允が喪に服していたのは、その太原郡太守のためである。濡れ衣での処刑であったから、慰霊に3年かけた気持も判る。

 喪が明けて太原郡に帰った王允は、王球なる新太守に仕えた。だが、その人材登用が、賄賂であることから弾劾すると、投獄されてしまった。彼も、そう言う意味では懲りない硬骨漢であるようだ。

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「「経学に通じた文武の才をお使いください」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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