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「異民族も我らと同じ人間であるから、話して誠意を尽くせばわかるはずだ」

【32】第七章 劉虞3

2012年10月3日(水)

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【31】第七章 劉虞2から読む)

 光和7年(184年)、劉虞は清河国(せいがこく・河北省南西部で一部山東省も含む)の国相に任命された。国というのは、皇帝劉氏の濃い血族が王をしている所の意で、国相は中央から派遣される管理者である。

 当時は劉理(りゅうり)が王であった。後日登場する蜀の劉備の三男と同姓同名だが、同一人物ではない。似ているのは、ただ王として存在しているだけという点だろう。

 劉虞が都の甘陵(かんりょう)へ着いたとき、この国王は黄巾軍になす術もなく、ただ後宮でわなわな震えているだけだった。そこで軍兵を都の城壁に集めて、逆賊の侵入を徹底的に防衛させた。

 持ち堪(こた)えている内に、張角が死んで黄巾軍の主力は雲散霧消してしまった。だが、問題は戦乱で荒廃した周囲の田畑を、どのように復活させるかだった。

 劉虞は堆肥の作り方を指導し、斜面の低い方を掘って高い方と同じ高さに土を積み上げさせ、風の当たらない窪地の畑に野菜を植えさせた。夜には天井を筵(むしろ)で覆ったりすると、温室効果で野菜の促成栽培ができたのだ。それを周囲の城邑で売ると、やや季節が外れているので、飛ぶように売れて国の国庫が満たされた。

 その実績が買われたのか2年後の中平3年(186年)、劉虞は中央へ復帰した。役職は尚書令(しょうしょれい・皇帝の秘書役)であったが、すぐに公禄勲(こうろくくん・皇帝の身辺警護を司る大臣)となり、宗正(そうせい・皇族に関する諸事務を司る大臣)へ次々と転任した。

 このように変わるのは、有能で宦官が扱いにくい人物であるからだ。動かして揺さぶりをかけ、暗に賄賂を要求するのである。

 この頃、まだ黄巾賊の残党が地方で暴れていた。その討伐には、地方の軍閥が駆り出されたが、翌年の中平4年(187年)に中山(ちゅうざん・河北省北部)で張純(ちょうじゅん)と張挙(ちょうきょ)が、烏丸(うがん)の丘力居(きゅうりききょ)と組んで反乱を起こした。

 鎮圧を命ぜられたのは、タク(三水偏/豕)郡令の公孫サン(王/贊・こうそん/さん、以下同)である。彼は、かつて盧植の塾で学び、その際は劉備の先輩であった。

 彼は討伐に際し、白馬義従(はくばぎじゅう)なる白馬軍団を組織して烏丸を討った。白馬は烏丸の神聖動物であったため、烏丸は白馬に立ち向かえず戦いに敗れてしまった。

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「「異民族も我らと同じ人間であるから、話して誠意を尽くせばわかるはずだ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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ジェンスン・フアン エヌビディア創設者兼CEO(最高経営責任者)