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「穀物や矢弾はいつ頃こちらへ届くことになるのだ?」

【35】第八章 陶謙1

2012年10月9日(火)

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【34】第七章 劉虞5から読む)

 現在、徐州(じょしゅう)といえば、江蘇(こうそ)省北西部の都市(古くは彭城・ほうじょう)を指す。しかし後漢の末期には、安徽省北部の広い一帯を言った。

 始皇帝が始めた郡県制で、全土は三十六郡の皇帝直轄地に分割された。そうすると、郡は現在の省ほどの広さがあった。それが、漢の時代になって郡国制がとられた。

 これは、郡の幾つかが国となり、皇帝の一族が王となって赴任する国家体制である。だが、地方王が経済力と軍事力を持ち過ぎて、呉楚七国(ごそしちこく)の乱(前154年)などが起こるようになる。

 それに懲(こ)りた漢は郡国制を維持しつつ、国の面積を削減していった。それに伴って、郡も小さくなっていき、太守が増え過ぎて中央の命令が行き届かなくなる。

 そこで漢は、郡を幾つか含む範囲を、州という単位で括った。全土は13州に分割、刺史(しし)を置いて太守の監察をさせたのである。

 陶謙(とうけん)が任命された徐州刺史とは、本来ならば、州の傘下にある郡太守を見張るのが本職である。だが、当時彼に与えられた任務は、黄巾賊の残党討伐であった。

 このとき陶謙は、臧覇(ぞうは)や曹豹(そうひょう)を騎都尉(きとい)及び校尉として使ってみた。すると、彼らがそこそこの戦果をあげてくれたので、彼は徐州で軍閥としての勢力を固めることができたのだ。

 やや変わった部将に、張ガイ(門-豈)がいるが、彼などは黄巾賊から寝返って陶謙の配下になった一人である。

 ここで嬉しいのは、陶謙が徐州で軍閥として存在感を示せて、周囲の武将たちに認められつつあったことだ。彼がそのような心境となったのは、これまでの人生が異動のため、地方を転々としていたからである。

 彼の出身は丹陽(たんよう)郡余姚(よちょう)県(現在の浙江省姚余市)である。幼い頃から聡明で、学問好きだったという。太学(大学)まで行ったという記録がある。だから、実家もそこそ裕福な準貴族か豪族で、父親は余姚の県令(けんれい・市長)だったらしい。

 同県出身で蒼梧郡(そうごぐん・江西省)太守だった甘公(かんこう)が帰郷した際、彼と擦れ違って呼び止め、話しただけで気に入り、娘を許嫁(いいなずけ)にしたと言う逸話がある。当時の風習から、知性が容貌に出ている相をしていたのかもしれない。

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「「穀物や矢弾はいつ頃こちらへ届くことになるのだ?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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