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「麻姑の手で、それほど儲けたのか?」

【37】第八章 陶謙3

2012年10月11日(木)

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【36】第八章 陶謙2から読む)

 徐州牧の肩書きを得たい陶謙は、5郡の中から評判のいい人物を調べてみた。自分の片腕として使えば、本人のためだけでなく、彼自身の評判にも通じるからだ。

 「琅邪の趙イク(昆の比を立)なる者が、親孝行で行いも人の模範となり、評判です」

 報告から、陶謙は陳珪(ちんけい)や陳登らを呼び寄せた。特に陳登は農業作物の育成に貢献し、徐州の収穫は一段と豊かになった。だが、趙イク(昆の比を立)は、評判で官職を得ることを恥と考え、応じなかった。

 そうすると陶謙にも意地があり、趙イクを庁舎に呼び寄せるため、さまざまな手段を弄(ろう)した。だが、彼は首を縦に振らなかった。そして最後には、刺史の命令を袖にするなら、罪に落とすと脅した。

 これで、ようやく趙イクが出てきたので、広陵郡太守に就けた。そこで、北隣の下ヒ(邸の氏を不)郡にいた盗賊の筰融(さくゆう)を、曹豹らに攻撃させる。すると筰融は広陵郡へ逃げ込んでいく。

 太守に就任したばかりの趙イクが迎え撃ったが、軍事部門が不得手な彼は、敗北を喫して殺されてしまった。これは陶謙の、陰険な竹篦(しっぺ)返しだったのかもしれない。

 初平3年(192年)、長安へ遷都した董卓が、養子の呂布に暗殺された。だが、董卓子飼いの策士賈(か)ク(言/羽)の提案で、部将李カク(確の石が人偏)や郭シ(三水/巳)、張済(ちょうさい)、樊(はん)チュウ(禾/周)、らが反撃し、呂布を長安から追い出してしまう。

 いや、これだけではない。この年には孫堅も、襄陽南方のケン(山/見)山付近で戦死している。

 これらの事件で、また中華の軍事的な均衡(バランス)が崩れることとなった。

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「「麻姑の手で、それほど儲けたのか?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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