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「あいつらに、国を転覆させようなどという度胸は、端からなかろう」

【54】第十二章 陳宮1

2012年11月5日(月)

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【53】第十一章 鄒娜5から読む)

 あれは、洛陽の白馬寺であった。

 仏教が中国へ伝わってきたのは、後漢の初め、明帝(劉荘・在位57年~75年)の時代である。そこで建てられたのが、白馬寺なる寺院だった。

 当時の仏教は、浮屠(ふと)と呼ばれていた。月氏(げっし)など、胡人(こじん・西方の外国人)が信仰する天竺(てんじく・インドのこと)という異国情緒が溢(あふ)れる教えと見られていた。特に現世利益ばかりを説く胡散臭(うさんくさ)いカルト集団、太平道などとは一線を画する落ち着きを感じさせた。

 この静寂な雰囲気は、当時一部の洛陽都人士には人気があったという。そのような場所へ、陳宮(ちんきゅう)は呼び出されたのだった。それは、初めて曹操(そうそう)に会ったときのことである。

 陳宮は東郡(河南省と山東省の境目付近)の出身で、若い割には人付き合いの範囲が広く、成皐(せいこう・河南省北部で?水の西)の素封家だった呂伯奢(りょはくしゃ)とも親交があった。彼らは優に親子ほどの年齢差はあったが、呂伯奢は若者の面倒を見るのが好きだった。

 そしてあるとき屋敷を訪うと、紹介状を書くという。相手は、最近若い武官として売り出し中の、それが曹操だった。

 呂伯奢には腰痛の持病があったので、いっときは太平道の符水治療を試みようと、鉅鹿(きょろく)郡まで出向いた。

 だが、人出の多さに圧倒されたのと、人々を整理していた弟子どもの横柄さから、似非宗教(えせしゅうきょう)と見切って、ショウ(言/焦)県の方へ行ったという。

 それが曹操の故郷だが、近くには華佗(かだ)という名医がいた。これほどの人物でも霞むほど、当時の太平道は旭日昇天の勢いだったのだ。

 華佗の治療を受けての帰り、狩をしていた曹操と呂伯奢は、たまたま行き遇ってお互いを知り合った。

 呂伯奢は、曹操の人相が好きになったという。だから陳宮には、彼の参謀となって名を成すことを、期待しているようだった。

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「「あいつらに、国を転覆させようなどという度胸は、端からなかろう」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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