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「ここまで自分の意見が受け入れないのならば可能な武将に賭けてみるか」

【57】第十二章 陳宮4

2012年11月8日(木)

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【56】第十二章 陳宮3から読む)

 成皐(せいこう)からショウ(言/焦)県まで、どのような道を通ったか、陳宮はあまり覚えていない。間道伝いに行って、途中川があると、そこへ一体一体死骸を捨てた。

 呂伯奢が帰ってきても、何が起こったか判らぬようにするためだ。彼らが料理しようとした家畜は、途中の食料にするため、全部いただいてきた。

 とにかく、彼らは故郷へ着いたのだ。

 一族郎党と女たちは、早くから到着していた。だが、血腥い一件に関しては、全員一切他言しないことで、約束ができていた。

 それからの曹操は、袁紹が提唱した反董卓軍のため、酸棗(さんそう)に行ったり、そこでの膠着状態に、やきもきしたりだった。彼に付き添った陳宮らも、それゆえに惨劇を思い起こす間もなかった。

 つまり、忙しいゆえに幸いだったのだ。

 次には、董卓が皇帝を劉協にすげ替え、洛陽を焼いて長安へ遷都した。そのため、また少しようすが変わった。誰も、函谷関を越えて長安まで、董卓を追いかけようというものが、いなくなったのだ。

 すると曹操は、故郷を含む予州(河南省)とエン(夜の冠/兌)州(河南省と安徽省の西側)を平定した。また、最大の戦果は太平道の一派、青州黄巾賊を取り込んだことだ。

 兵力を大きくした曹操は、袁紹と同盟関係を結んで、公孫サン(王/贊)の勢力と対峙することが多くなった。

 その間、陳宮にとっては面白くない事が多くあった。曹操の参謀が増えたことだ。

 まずは、程イク(日-立)という長身の男。彼は、軍閥の一人劉岱(りゅうたい)の誘いを断って曹操に身を寄せたが、頑固なだけで冴えた頭脳の持主には見えなかった。

 次に、荀子の末裔と言われる荀イク(或に二画+)である。彼は袁紹を見限って、曹操の陣営へ来たのだ。そのとき曹操は「儂の子房(しぼう)が来た」と、手放しだった。

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「「ここまで自分の意見が受け入れないのならば可能な武将に賭けてみるか」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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