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「ならば、徐州へ行って劉備と結びましょう」

【58】第十二章 陳宮5

2012年11月9日(金)

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【57】第十二章 陳宮4から読む)

 袁紹から曹操へ、張バク(貌/之繞)に対する暗殺指令が出ていたとは知らなかった。だから、彼も必死だったのだ。彼の弟の張超(ちょうちょう)と、呂布の手勢を合わせ、精々5000騎に満たない。

 「まずは、食糧の確保が必要ですな」

 「それなら、濮陽(ぼくよう)に入ろう」

 提唱したのは張バクで、簡単に落とせた。

 陳宮は張バクの軍と一緒に、ケン(甄/の瓦を大里)城へ補給を申し入れた。そこでは、荀イク(或に二画+)と程イク(日-立)が留守を預かっていたので、捕らえようとしたのだ。

 「曹閣下の援軍に出向く。ついては、食糧をお分け願いたし」

 だが、この申し入れを、二人は拒否した。それは、曹操からの連絡がないことを盾に取っていたが、要は陳宮と反りが合わないからだ。さすがに、彼らは防備も完璧だった。

 そこで濮陽を拠点にして、周辺の城邑へ曹操の無謀を訴えた。すると、同調してくれる所が多く、兵力もたちまちのうちに5万人に膨れあがった。それは、曹操の徐州攻撃が、いかに周囲の不安を煽っていたかを知る指標ともいえた。正に、ここからが正念場だった。

 張バクや呂布は、曹操が簡単に徐州から戻れないと読む。背後を劉備に突かれるからだが、病身の陶謙を抱えた彼は追撃できない。陶謙の遺言に、期するものがあったのだ。

 ここは、曹操が徐州から帰ってくるまでに、東平を拠点に亢父(こうふ)から泰山の街道を断ち切る必要があった。そこで要害にから、戻ってくる曹操軍を急襲すれば、本格的にエン(夜の冠/兌)や予州を傘下に置けた。

 だが、特に呂布が、そのような策戦には冷ややかだった。彼は自分の膂力(りょりょく)に絶大な自信を持っていた。策戦など姑息で、要は一騎打ちさえできれば良いと考えていた節がある。

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「「ならば、徐州へ行って劉備と結びましょう」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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