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「五斗米道」張魯とその母の策戦

【69】第十五章 于吉2

2012年11月27日(火)

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【68】第十五章 于吉1から読む)

 張陵(ちょうりょう)は張道陵とも言われるが、似た名前が多かったので、差別化を図るため後世に「道」を添付されたもののようだ。

 彼は于吉のもとを去ると、故郷の沛(はい)国のショウ(言/焦)県へ帰った。沛とは、高祖劉邦の故郷で、前漢初期の重臣は、この地の出身者がほとんどである。

 それは、劉邦が旗挙げすると、近隣の者が追随していったからである。曹参(そうしん)や夏侯嬰(かこうえい)らもその一人であるから、曹操の故郷でもあるのだ。名医の華佗(かだ)も、近くにいたわけだ。

 ともかく張陵は、故郷で密かに『太平清領書』を売り捌(さば)いて大金を得た。それから家族を引き連れて、蜀(四川省)へ行ったのであった。

 彼は、もともと洛陽の太学にも籍を置いたインテリであったが、人間関係の複雑な中原(ちゅうげん・洛陽周辺)から離れ、地方の名山に籠もりたかったようだ。

 そして目指したのが、鶴鳴山(かくめいざん)であった。自分の趣味なら、勝手にすればよさそうだが、家族は案外、彼の行動に理解を示したのかもしれない。でなければ、暴君のごとき人物であったかだ。

 彼は『太平清領書』の内容に、必要以上の心酔振りを示さなかった。だから、全巻売ったとも考えられる。彼が修行して、祈りによる病気治療の技術を開発したとされている。

 そのあたりは、道教思想である薬草の効果を上手く用いたのだろう。だが、治療の基本は、病人の反省と告白から始まったとされるので、太平道と相通じるものがある。

 彼は病人の反省文を三通書き、それを山上と地中とに埋めさせ、もう一つは川へ流させた。天と地に献げ、あと己への一通は、水とともに忘れさせるの意であろう。

 そこで太平道と違ったのは、病人の家族から礼金を受け取らず、米を五斗(日本の5升・約9リットル)を納めさせることだった。そこで張陵の一派は、『五斗米道』などと呼ばれることになったのだ。

 張陵のあとを、息子の張衝(ちょうしょう)が嗣いだ。彼は父親と同じような病気治療に明け暮れたが、妻が意外な才能を発揮した。それは、巫術(ふじゅつ)である。

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「「五斗米道」張魯とその母の策戦」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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