• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「長安の幼帝など、何ほどものか」

【73】第十六章 袁紹1

2012年12月3日(月)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

【72】第十五章 于吉5から読む)

 「いつも人を小馬鹿にしおったくせに、様(ざま)はないな。だが、病身なら仕方がないか」

 皇帝を僭称(せんしょう)していた袁術は、結局誰にも相手にされず、行き場を喪って袁紹に助けを乞うた。

 袁紹が、これまでの経緯を水に流して身柄を引き受けると言ったのは、河北一の軍閥に成長した余裕と見られようが、実際は袁術の軍兵を吸収して、少しでも兵力を増強したかったからだ。

 いや、移動する途中で、合戦があると見込んだと言うべきであろう。

 袁術が河北へ行くためには、徐州(じょしゅう・江蘇省の北と安徽省の東北)かエン(亠/兌)州(安徽省の北西と河南省)かを通らねばならない。しかし、途中には劉備もしくは曹操が通すまいと構えている。

 最良の形は、彼が死に物狂いで奮闘し、どちらかに可成りな傷手を与え、そのまま討死してくれることだ。これなら自分の手を汚さず、戦果が上がるのだ。

 しかし、運命の采配は皮肉にも、何ら干戈を交えぬうち彼に死を与えた。彼が最期に臨んで、蜂蜜を所望していたことまで伝わった。

 「様はないな」

 袁紹は、またその台詞を吐いて、徒弟と言われる武将を思った。

 袁家は、三公(重要な大臣)を輩出した家柄と、自他共に認めている。だが、袁術はいつも袁紹を妾腹と蔑(さげす)んだ。それが、袁紹の気持を燃え立たせていたことなど、袁術は知るよしもない。

 当初袁紹は、取り敢えず袁術を立てていた。行動もある程度ともにした。特に二人が力を合わせたのは、何進が宦官に暗殺されたときだった。

 「政の害毒だ。皆殺しにせねばならぬ」

 袁紹は、袁術と一緒に宮廷へ討ち入った。そして、手当たり次第に宦官どもを斬り倒した。このときほど、二人が精神的に接近したことはなかった。だが、この後で董卓が洛陽へ入城し、皇帝を劉弁から劉協へと箝(す)げ替えた辺から、二人の不和が始まる。

コメント0

「サテライト「三国志」群像」のバックナンバー

一覧

「「長安の幼帝など、何ほどものか」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

トランプ政権のここまでの動きはスロー。

ジョセフ・ナイ 米ハーバード大学特別功労教授