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良心の殺害~「生ける屍」となった主人公

ポーの「ウィリアム・ウィルソン」を読む(4)

2012年11月6日(火)

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 さてこの物語も大詰めである。主人公とXは、大都会を鬼ごっこのように駆け巡る。主人公は良心であるXから悪行をとめてもらいたいがために、次から次へと都会をさまざまなよい歩き、愚かな行為を企てているようにもみえる。「彼がぼくの計画を妨げたり、行動を邪魔したのは、その野心が実現された場合には、ぼくにきわめて重大な結果をもたらすような場合に限られる」のであり、その瞬間をどちらもが待っているのである。

 やがて主人公はついに分身を殺害する。そして殺害された分身の「容貌はその皺の一本にいたるまで、ぼくの顔とまったく同じだった。ぼくそのものだった」ことが明らかになる。ぼくはぼくを殺したのである。そこでぼくはぼくに宣告する。「よく見るがよい、ぼくの死において、この姿こそが君の姿なのだ。よく見るがよい、君がみずからを完全に殺したのだということを」。

 分身の多くの物語で、主人公は分身を殺害するか、殺害するに等しいことを行う。シャミッソーの『影をなくした男』では、影を売ってしまった主人公は、影を取り戻せる最後の瞬間に、自分の「魂」を救うために、影を放棄する。そして人間の社会から完全に逸脱して放浪の生を送るようになる。

 オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』では、若く美しい主人公を描いた絵が影となり、主人公はいつまでも同じ若さと美貌を保つが、絵は次第に老いてゆく。ある日、主人公は彼の罪と年齢と老いを引き受けている分身の肖像に描かれた自分の罪深さを目にして、分身を刺し殺してしまう。

 その瞬間に死ぬのは、もちろん主人公である。絵の分身は主人公の時間を引き受けていたからである。「床の上に、夜会服姿の男の死骸が横たわっていた。心臓にナイフが突き刺さっている。老けやつれ、皺だらけで、見るからに厭わしい容貌の男だった。指輪を調べてみてはじめて、人々はこれが何者であるかを知った」[1]のだった。そして肖像は「すばらしい若さと美しさ」[2]を取り戻していたのである。

 しかしウィリアム・ウィルソンでは分身は死んでも、主人公は死なない。それは刺し殺したのが自我であり、刺し殺されたのは超自我だからである。良心を失っても、自我は生き延びることができる。しかしこの自我は死んだも同じであり、ただ退廃の道を下るだけである。この小説の冒頭の主人公の絶望の言葉は、主人公が「生ける屍」にすぎないことを告白しているのである。

 それでは『ウィリアム・ウィルソン』のクライマックスの場面をお読みいただこう。

[1]オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』福田恒存訳、新潮文庫、421ページ。
[2]同。

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「良心の殺害~「生ける屍」となった主人公」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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