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不可視なものの神秘的な力

モーパッサン「オルラ」を読む(1)

2012年11月13日(火)

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 さて、分身小説の第二の類型「不気味なもの」に分類される小説を読んでいただくことにしよう。モーパッサンの有名な怪奇小説「オルラ」である。第一の類型では、心の中の「一人のうちの二人」のうちの良心の審級が分身として外部に姿を現し、主人公の悪事を妨げ、暴いたのだった。

 主人公にとっては、良心の責めは苦しいものであり、ついには殺さずにはいられなかったのである。ポーの「ウィリアム・ウィルソン」がそうした分身を描いたものであることは、エピグラフの「それはどんなものか。ぼくの行く手に憑きもののように/潜む、このぞっとするような良心と呼ばれるものは」という言葉からも明らかだろう。

 ところが心の分裂はつねに自我と超自我の分裂、自我と良心の分裂という姿をとるわけではない。主体がただたんに二つに分裂することもあるのだ。その分身は、ぼくとまったく同じである。自分がもう一人いる、これは怖いことだ。ここでは登場するのは良心の審級ではなく、複数化した自我の審級である。第一の類型では、自我は超自我に脅かされたのだが、第二の類型では、自我は別の自我に脅かされるのである。

 これは背筋を凍らせるような不気味さを伴うものである。ぼくでないぼくは、ぼくがいないところで何をしているのだろうか。何を考えているのだろうか。別のぼくがしたことで、ぼくはほかの人から咎められたり、誤解されたりすることはないだろうか。別のぼくが盗みをしたならば、ぼくもまた盗人にされてしまうだろう。別のぼくが人殺しをしたら、ぼくもまた……。

 しかもぼくは自分の心のうちに、ぼくではない別のぼくが無意識として存在していることを知っている。眠りの中でもぼくはぼくでない自分が登場してくることを知っている。それだけに、ぼくは別のぼくの存在を否定できない。ぼくはときに自分の無意識が怖いと思うだけに、この別のぼくは、ぼくにとって、恐ろしいものだ。この恐ろしさは、たとえばホラー小説で描かれるような恐ろしさとは、かなり違う性質の恐ろしさである。これは怖いと同時に、不気味なのだ。そこでこの種の分身が登場する分身小説を、「不気味なもの」という類型にまとめることができるだろう。

 フロイトは同名のエッセイにおいて、その不気味さを自分の体験として語っている。夜行の汽車の「寝台車の一室に一人でいたときのことである。汽車が強く揺れて、隣の洗面室につながるドアが開いたのだった。そして旅行帽をかぶった寝間着姿の老人が、わたしの部屋に入ってくるようにみえた。洗面室の隣は別の部屋になっていたから、わたしは老人が、自分の部屋から洗面室に入って、そこから自分の部屋に戻ろうとして、間違えてわたしの部屋に入ってきたのだと思ったのである。わたしは立ち上がって、老人に説明してやろうとしたのが、そこでこの侵入者が実はドアのガラスに映ったわたし自身であったことに気づいて、呆然としたのだった」[1]

 フロイトはこの自分の分身を眺めた時の経験を忘れられず、その不気味さを解明しようとして、多数の小説を分析したこの文章を書いたのかもしれない。フロイトの場合には実際には錯覚であって分身ではなかったが、分身のモチーフが不気味なものであることは、この論文で詳細に検討されている。このモチーフでは「外見が同一であるために、二人の異なる人物が同一人物とみなさざるをえなくなること、片方の人物から他方の人物に精神的なプロセスが飛び移るために(これは一般にテレパシーと呼ばれている)、片方の人物のもつ知識、感情、体験を、他の人物も共有することから、この同一視がさらに強められる」[2]こと、「さらに片方の人物が他の人物と同一化してしまうために、その人物の自我のありかについて誤った判断を下すこと、自分の自我の代わりに、知らない人物の自我が入り込むこと、すなわち自我の二重化、自我の分離、自我の交換が起こる」[3]ことなどは、多くの研究によって解明されてきたのである。

[1]フロイト「不気味なもの」。邦訳は『ドストエフスキーの父親殺し/不気味なもの』中山元訳、古典新訳文庫、光文社、208~209ページ。なお底本としたテクストは、Gui de Maupassant, "Horla", seconde version, in Le Horla et autres Contes cruels et fanatastiques, Garnier, pp. 420-449.である。
[2]同。邦訳は同、164~165ページ。
[3]同。邦訳は同、165ページ。

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「不可視なものの神秘的な力」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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