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眠り、夢魔、不可視の存在

モーパッサン「オルラ」を読む(2)

2012年11月20日(火)

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離魂型の分身の物語としての『源氏物語』葵の巻

 さて前回、この「不気味なもの」としての自我の分裂には、離魂型と離体型があることを指摘しておいた。離魂型は、魂が身体と分離して、別の身体に取り憑くことで、別の自我となるものであり、離体型は、魂も身体も分離して、別の自我となるものである。離魂型で有名なのは、『源氏物語』の「葵」の巻の御息所の生き霊だろう。

 源氏の愛人である御息所は、正妻の葵の家人たちに、齋院就任の始めの儀式に参列する源氏を見物にでかけた際に意地悪をされ、葵に恨み心を抱くことがあった。「それがどれほど大きな恨みになっているかを左大臣家の人は想像もしなかった」[1]のだった。

 そのうちに葵の出産が近くなり、「葵夫人は、物怪がついたふうの容体で非常に悩んでいた」。祈祷してもらっても「物怪、生霊というようなものがたくさん出て来て、いろいろな名乗りをする中に、仮に人へ移そうとしても、少しも移らずにただじっと病む夫人にばかり添っていて、そして何もはげしく病人を悩まそうとするのでもなく、また片時も離れない物怪が一つあった」。

 人々は源氏の愛人関係からこれが源氏の愛人の一人、御息所の霊ではないかと噂する。御息所もまたその噂を聞いて、もしかすると、と考える。「御息所は自分自身の薄命を嘆くほかに一人を詛う心などはないが、物思いがつのればからだから離れることがあるという魂はあるいはそんな恨みを告げに源氏の夫人の病床へ出没するかもしれないと、こんなふうに悟られることもあるのであった」。

 この時代にも、ヨーロッパの中世の頃も、魂が身体を離れて一人歩きをすることがあることが認められていた。御息所にとっては、心あたりがいくつかあった。第一に、そのような夢をみるのである。御息所が少しでもうとうとすると、姫君らしい人の所に自分がいって、乱暴をしている夢をみるのである。「その人の前では乱暴な自分になって、武者ぶりついたり撲ったり、現実の自分がなしうることでない荒々しい力が添う、こんな夢で、幾度となく同じ筋をみる、情けないことである」のだった。そのために御息所は自分の「魂がからだを離れて行ったのであろうかと思われる」のだった。

 御息所はこのことを望んでいないし、どうにかして魂を引きとどめたいと思っていた。「名誉の傷つけられることが苦しくてならない」のである。しかし気がつくと失神状態になっていて、自分の魂を制御することができない。この魂は一つの個性をもち、力をもち、意志をもつかのようである。

 御息所にとって別の心あたりは、自分が失神していた頃のことを考えると、「着た衣服などにも祈りの僧が焚く護摩の香が沁んでいた。不思議に思って、髪を洗ったり、着物を変えたりしても、やはり改まらない」のである。ついに御息所は自分が生霊となって葵に憑いていることを認めざるをえなくなったのである。

[1]『源氏物語』、「葵」の巻、与謝野晶子訳。ここの引用はすべて与謝野訳である。

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「眠り、夢魔、不可視の存在」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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