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「曹公の軍は戦いで疲れており、俄な病人が発生しているようです」

【90】第十九章 周瑜3

2012年12月27日(木)

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【89】第十九章 周瑜2から読む)

 「これこそ、僭称(せんしょう・勝手に名告ること)以外のなにものでもない」

 これでは周囲からの尊敬どころか、侮蔑と嘲笑を浴びることにもなりかねない。周瑜が居巣から呉へ落ち延びようとしたことと、魯粛(ろしゅく)がそれに追随しようとしたことが、これにて正しいと証明されるわけだ。

 呉へ移った彼らは、孫策から大層な歓迎を受けた。呉の周辺は彼らの合流で、確かに活気づいていた。

 その反面、袁術の周りからは、彼の失意のようすしか聞こえてこなくなった。馮(ふう)氏なる美女を寵愛しているのまでは良かったが、連日宴会の酒に溺れ、女色に耽っているとされている。

 「あれが、原因かもしれぬな」

 突然、孫策がぽつりと言う。

 「『伝国の印璽』だ。確か父上(孫堅)が、董卓が焼き払った後で洛陽へ入られたとき、宮城跡の井戸を浚って見付けられた」

 「舒県にいたとき、そんなことがあったとも聞いたな」

 「袁術様は、それを寄越すよう打診して来られたのだが」

 「渡したのか?」

 「いや、それは、実際どこへ行ったか判らないのだ」

 きっと孫堅が卒した後、舒県から江都などへ移っているうちに、紛失したのだ。

 「印璽にこだわった袁術様は、心の拠り所がなくなったのかな?」

 そうも考えられたが、その後袁術は袁紹に身柄を引き受けを承諾させながら発病し、失意のまま亡くなった。行き場所を喪った袁術の部下たちが、袁術の財産ごと孫策のもとに来ようとしたのを、廬江太守の劉勳(りゅうくん)が捕らえてしまった。

 だが、増えた兵を養うだけの食糧が不足したため、孫策の策謀に踊らされ、上繚(じょうりょう)を襲っている最中に、皖(かん)県を乗っ取られたのである。

 ここで捕らえた橋公の娘たちが大橋と小橋であった。ここで姉妹たちは、孫策と周瑜の妻に収まる。このことも含めて、孫策と周瑜の交友は「断金の交わり」と呼ばれる。

 「橋公の娘たちは美貌だが、男ぶりの良い我らの妻になるのだから、苦情は言うまい」

 これは、孫策の言葉とされているが、まさに得意の絶頂にいたのであろう。これが、建安4年(199年)のことであるから、彼女との蜜月は1年足らずのこととなる。

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「「曹公の軍は戦いで疲れており、俄な病人が発生しているようです」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官