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「反董卓を標榜する軍閥は、決して追いかけはしません」

【92】第二十章 荀イク1

2013年1月7日(月)

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【91】第十九章 周瑜4から読む)

 荀イク(或+ノノ以下同)は、守宮令(しゅきゅうれい・皇帝が使う文具の管理官。普通、宦官の職種)という役職が嫌いではなかった。それは、竹簡や紙、墨、漆、筆、硯などの素材や道具が放つ匂いが好きだったからに他ならない。

 彼はそれらを使って、人が無機物に息吹を与えられるように感じたのである。

 ところで、書写材料としての紙は、一般的には蔡倫(さいりん)が2世紀の初め(105年)に発明したと言われている。

 いや、当時紙という物は、既に緩衝材のような格好で存在しており、彼は改良を加えて墨や漆で書いても滲(にじ)まないよう工夫したのだとか、さまざまな説がある。

 とにかく筆記に堪(た)える格好で、三国志の時代には存在したようだ。だが、まだ一般的な書籍は竹簡であった。紙は、皇帝や高級官僚が、使う高価な代物だったはずだ。

 荀イクは二十代の後半に、光禄勳(こうろくくん・皇帝の世話係)府下の守宮令なる役職に就いたとされている。

 時間的には、中平6年とか永漢元年とかの年号が当てられる。これらは西暦で言えば189年で、同年は4回改元されているから、どう表記してもいいようにも思われよう。

 しかし、中平6年は霊帝(劉宏)崩御で、何進が史侯(劉弁)を即位させたところから、光キ(喜/烈火)となり、何進が暗殺されて昭寧(しょうねい)、董卓が劉協(献帝)を即位させて永漢、年末にまた中平に戻った。

 したがって、元号表記と荀イクの就任は、誰の命令だったかを探る手懸かりになる。

 また守宮令が、普通なら宦官の役目ということを考え合わせると、袁紹や袁術の宦官大量殺戮(さつりく)後と推量することができよう。それならば、董卓に任命されたと考えるのが妥当である。

 荀イクは誠実に守宮令の役職を務めるつもりでいた。紙や筆、竹簡などで、中華の隅々にまで法令を行き届かすことができれば、安寧な世になると、彼なりの夢もあった。

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「「反董卓を標榜する軍閥は、決して追いかけはしません」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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