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「曹操は、袁紹に勝ったのか?」

【95】第二十章 荀イク4

2013年1月10日(木)

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【94】第二十章 荀イク3から読む)

 荀イク(或+ノノ)が推薦した人物に、戯志才(ぎしさい)なる隠者がいた。世俗と交わるのを嫌っていたが、野菜の速成栽培に熱心だった。この技術で周囲を驚かせたが、残念ながら早世した。

 もう一人が、郭嘉(かくか)だった。袁紹を見限って曹操のもとへやって来た経緯は、荀イクとそっくりだった。曹操の側近たちが、許都へ来た劉備を暗殺するよう進言したが、郭嘉は反対した。

 「慕う者の多い劉備を許都で暗殺すれば、曹公(操)の評判を落とすだけです」

 この応えは曹操を喜ばせたが、郭嘉の意見の裏には、劉備の監視があった。また、暗殺も、他所でならば良いと言外に含んでいる。

 建安4年(199年)袁紹が公孫サン(王/贊)を滅ぼすと、袁術は病身を押して徐州を縦断し、袁紹の保護下に入ろうとした。このとき、その動きを封じるため、劉備が5000ばかりの兵を与えられて派遣された。

 「遂に、お放しになったか。どう思う?」

 程イク(日/立)が荀イクの意見を訊いた。無論、肯定的にではない。

 「仰せのとおりでしょう。あやつ(劉備)は、野心のある男ゆえ、身近に置いて監視せねば、いずれは公(曹操)の行く手を遮(さえぎ)る存在となりましょうなァ」

 ここでも、彼らの意見は合っていた。

 ところで、袁術は寿春を出発して間もなく、志を遂げず病没した。こうなると、劉備が徐州へ出向く大義はなくなり、許へ戻ってこなければならない。

 「呉の孫策を警戒せねばならぬと、徐州に居座ろうな」

 程イクは、そのように予想した。そして、それは当たるが、劉備は更なる想定外の行動を取った。それは、徐州刺史に任命されていた車冑(しゃちゅう)を襲い下ヒ(丕/大里)を占領したことだ。

 尚も彼は、下ヒを関羽に任せ、自身はエン(亠/兌)州に近い小沛へ駐留した。これでは、呂布に乗っ取られたときと同じだ。この行動も首を傾げざるをえなかった。

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「「曹操は、袁紹に勝ったのか?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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牛島 信 弁護士