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「曹公は、呉の水軍と戦うのか?」

【96】第二十章 荀イク5

2013年1月11日(金)

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【95】第二十章 荀イク4から読む)

 官渡の戦いの後、袁紹は数年で病死した。

 すると彼の係累も、次々と曹操の軍門に降った。こうして、曹操は河北と中原を版図に組み入れた。彼が次ぎに触手を伸ばすのは、孫権の呉か荊州(河南省西南部、湖北省、湖南省を含めた地域)である。

 特に後者は曹操の領地から近い分、攻撃は時間の問題だった。また、徐州から河北へ逃れた劉備が、再度落ち延びたのも荊州刺史の劉表を頼ってである。

 もともと劉表という人物は、あまり戦闘的ではない。だから、文人が荊州へ流れたのである。赤壁で登場する諸葛亮なども、もともと徐州の出身だが、曹操と呂布、劉備らの戦いを避けてこの地へ移ってきている。

 曹操は袁紹一族に追い討ちをかけるとき、劉表から背後を突かれることを懸念した。だが、無用な心配をせず袁一族を滅ぼすよう進言したのは、郭嘉だった。

 彼は、劉表の性格をよく理解していたのである。曹操が河北を攻略できたのは、程イクの策戦もあるが、郭嘉の周囲を読む目に負うところが大きい。

 このときも、荀イク(或+ノノ)は許都に詰めていた。

 「劉荊州刺史殿は病気がちと聞く。そうすれば、曹公としては、南陽や襄陽などすぐに落とせような」

 皇帝協の問いには、曹操に対する恐れが隠れているようだ。

 「はい、そこまでは造作もなきことかと」

 荀イクの応えに、皇帝協は表情では笑いながらも、明らかに怯えていた。

 それは、これ以上曹操が大きくなれば、皇帝の存在が霞んでしまうと自覚していたからであろう。いや、自分自身が抹殺されまいかと、恐怖に駆られているらしい。

 それゆえ、荀イクは別の応え方をした。

 「荊州の北部までは行けましょうが、南部へは苦労なされましょう」

 こう言うと、どのような困難があるのか、皇帝協は興味を示す。

 「荊州の中央は西から東へ長江が流れます。この河を制しませぬと、呉を滅ぼせませぬ」

 つまり水軍戦になると、曹操軍は騎兵や歩兵が中心であるため弱いと言いたいのだ。それでも欠点を補うために、最近海賊を捕らえて、無罪放免を条件に水軍を組織していた。

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「「曹公は、呉の水軍と戦うのか?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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安形 哲夫 ジェイテクト社長