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「あの董太師を怒らせると、大変な事態になりましょう」

【97】第二十一章 蔡エン1

2013年1月15日(火)

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【96】第二十章 荀イク5から読む)

 蔡エン(王/炎)は、通称を昭姫(しょうき)といったらしい。だが後年、晋の文帝(司馬昭)の諱(いみな・本名)を憚って、昭を文に替えられた。それゆえ、一般的には蔡文姫(さいぶんき)と記載されることが多い。

 このような事例はこれだけではなく、前漢の外交家、荘助(そうじょ)や、新の将軍荘尤(そうゆう)も、後漢の明帝(劉荘)の諱を憚って厳助や厳尤とされている。

 もっと甚(はなは)だしいのは、心象の悪い字に替えられる場合だ。前漢の武帝暗殺を謀(はか)った馬何羅(ばから)と馬通(ばとう)は、大逆罪に問われた。

 そのため由緒ある「馬」姓を、国家簒奪(さんだつ・不法に奪い取ること)者の王莽(おうもう)の「莽」に箝(す)げ替えられ、莽加羅、莽通と記載されている。

 始皇帝に対して乱を起こしたロウ(女/蓼の草冠トル)アイ(毒の頭が士)も、本名ではなかろう。

 右の例のごとく、中国史における名前は、本来のものと替わることがある。清の時代には、皇帝名との共通文字は、最後の一画を欠けさせる(欠画)という習慣があった。

 さて、ここでは彼女の名を、蔡エンで通すことにする。

 彼女は、キ(喜/烈火)平6年(177年)に洛陽で生まれたと、両親から聞いていた。父の蔡ヨウ(巛-邑)は陳留(ちんりゅう)郡の圉(ぎょう)県出身で、かつても洛陽の宮中勤めもした学者であった。

 その仕事は、儒学の教典である六経の校訂であったという。当時の書物は写筆に写筆を重ねていたため、誤謬(ごびゅう)や文字の喪失がかなり多かった。

 父蔡ヨウは、それを正す作業をしていた。それは彼の人生の中で、一番充実している時期だったと、娘の蔡エンにも後で判った。

 ところが、揚州(長江下流左岸一帯)へ移る、いや、亡命したのは、宦官の横暴ともいえる出鱈目な政策に反発したためだった。宦官という生物は、利権を阻害されるとなると、死に物狂いで抵抗する。だから蔡ヨウも、彼らから執拗に追われたらしい。

 蔡エンは、そのことも後に知ったのだ。彼女が物心ついて文に親しんだのは、逃げ込んで育った揚州であった。

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「「あの董太師を怒らせると、大変な事態になりましょう」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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