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催眠術の恐ろしさ

モーパッサン「オルラ」を読む(6)

2012年12月18日(火)

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異次元無体型の分身小説

 さて、分身小説の第二類型の異次元型について簡単に検討してみよう。現在とは違う時代を分身が訪れるというものだ。これも無体型と有体型があるだろう。無体型として分類できるのは、A・E・コッパードの短編「アダムとイブ」だろう。この物語では、自宅の庭を散歩していた主人公コドリングが誰からも無視されるようになり、家のドア一つ開けることができなくなる。

 それだけではない。庭師のボンドが、彼の体を通過してしまうのだ。「コドリングがほんの一瞬、庭の小径にたっていたあいだに、ボンドの手押し車も、車にのせていたものも、ボンド自身も、まるでコドリングが空気ででもあるかのように、生きて呼吸しいる人間ではなく、ただのありふれた幽霊ででもあるかのように、彼のからだをとおり抜けていった」[1]のである。

 主人公は唖然とするが、笑いだす。「彼はくつくつ笑った。これはおもしろいぞと思った」[2]のである。そして何度も庭師のボンドの前に立ちふさがって、自分のからだを通過させてみる。そして自分の普通の感情も、思考もあること、すなわち自分の本質的なところは失われていないことを確認する。「通常の刺激には対しては通常の反応をしており、ただ姿が、いまのところは人間仲間の目に映らず、彼らと言葉を交わすことができないだけだった」[3]

 主人公はさまざまな推論をする。自分は死んではいない。しかし他者と世界を共有できてない。するともっと別の自分がどこか、ここでない世界にいるに違いない。主人公は、「一人の人間がその人間の幽霊と、同じ世界に、べつべつに暮らしているなどということ」[4]とは違う現象だと考える。すると「自分の別の部分もどこかに生きていて、活動してるのだ」[5]ということになる。そして「その両方の自分がおたがいのところへ帰ってきて、意見を交換したとしたら、これはおもしろいことになるぞ」[6]と考えるのだ。

 この主人公の推理は正しいだろう。異次元に別の分身がいるに違いない。主人公が分身ではなく、別の世界からからやって来たのだとすると、もとの別の世界では主人公は姿を消しているに違いない。その場合には主人公はこちらの世界に現実の身体をもって移ってきたはずであり、他人が自分のからだの中をとおるようなことはないだろう。

 しかし今、他人は自分のからだを通過してしまう。それはこの自分の身体に現実性がないということであり、現実性のある身体をもつ主人公が別の世界に生きているということになる。だから主人公は幽霊に近い分身としてこの世界で生きていることになる。主人公は自分では身体をもっている感じているが、他人にはまったく存在していることが認識できないので、実は彼は身体をもっていない「無体」なのである。

[1]A・E・コッパード「アダムとイブ」。橋本福夫訳、『怪奇小説傑作集3』創元推理文庫、186ページ。
[2]同、187ページ。
[3]同。
[4]同。
[5]同。
[6]同。

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「催眠術の恐ろしさ」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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