• BPnet
  • ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版

「曹操には後日風の向きを読んで、奇襲をかけましょう」

【102】第二十二章 魯粛2

2013年1月22日(火)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

【101】第二十二章 魯粛1から読む)

 「廬江(ろこう)郡を牛耳るには、朝廷から刺史を仰せつかった劉ヨウ(揺の旁/系)を追い出さねばならなかったに、一番の功績を果たした孫策様を差し置いて、子飼いの劉勳(りゅうくん)などを抜擢しおって」

 袁術の筋の通らぬ人事や命令は、今に始まったことではなかった。だから、魯粛(ろしゅく)は周瑜(しゅうゆ)と一緒に孫策の陣営へやって来たのである。それが、統治能力のない後漢皇帝と、中央政府に対抗する最善策と思えたからだ。

 だが、やがて袁術は皇帝を僭称(せんしょう)したことで誰にも相手にされず、酒色に溺れて病没した。同じ頃、呂布も公孫サン(王/贊)も滅んでいった。

 こうなると、長江以北は袁紹と曹操の二大勢力に集約されるから、江南から西へと呉が勢力を張れることになる。

 ところが、呉の周辺を統一する過程で、孫策は滅ぼした軍閥の食客に怨みを買って、建安5年(200年)長江の氾濫原で討たれて卒した。

 この頃、魯粛は祖母の死を知り、東城へ帰省していた。もう袁術が他界した後なので、魯粛の呉行きを咎める者などない。いや、それどころか、旧友から招聘されることも再三ではなかった。

 劉曄(りゅうよう)なる者からは、かなり熱心に呼びかけられ、心を動かしかけたので、母親を連れ戻そうか思ったほどだった。

 「呉は孫策様の死で終わるわけではない。弟の孫権殿も、兄に優るとも劣らぬ才人だ。一度会って確かめるがよかろう」

 そのように周瑜から逆に引き留められ、魯粛は孫権と話し合った。

 「曹操が、官渡で袁紹を降したそうです。魯粛殿は、今後の展開をどう読まれる?」

 のっけから孫権は、そのような質問を飛ばしてきた。

 「まずは、河北へ渡って袁紹の居城であるギョウ(業/大里)を叩くはずです」

 「そして、袁紹の係累を滅ぼそうな?」

コメント0

「サテライト「三国志」群像」のバックナンバー

一覧

「「曹操には後日風の向きを読んで、奇襲をかけましょう」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント投稿機能は会員の方のみご利用いただけます

レビューを投稿する

この記事は参考になりましたか?
この記事をお薦めしますか?
読者レビューを見る

コメントを書く

コメント入力

コメント(0件)

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

「昔、SOMPOは保険会社だったらしい」と言われたい。

桜田 謙悟 SOMPOホールディングス グループCEO社長