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「蜀の攻略を劉備殿に手伝ってもらう方が得策です」

【104】第二十二章 魯粛4

2013年1月24日(木)

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【103】第二十二章 魯粛3から読む)

 曹操は、鎖でつないで要塞のようにした何十艘もの軍船を焼かれ、負けを悟ってさっさと荊州を後にしていた。

 実際の大きな戦闘は、火事場となった曹操方の陣営があった烏林(うりん)で行なわれている。だが、その前哨戦は呉軍と劉備軍が陣取る対岸の赤壁近くであった。

 それゆえ歴史的には、総てをひっくるめて「赤壁の戦い」と呼んでいるのだ。

 これは、建安13年(208年)の大事件である。この結果、呉の孫権と劉備の目論見が成功した。つまり、天下は曹操と孫権、劉備で三分する態勢ができあがったわけだ。

 ただ、孫権と劉備の関係は、このときからまだしばらく蜜月に近い雰囲気であった。それを示す出来事の一つが、翌年(209年)孫権の妹が劉備に嫁いだことだ。

 彼女の正式な名前は伝わっていない。それでも、一般的には孫尚香(そんしょうこう)とされているので、ここはそれを採用する。

 彼女は、お世辞にも淑(しと)やかな令嬢とは言えず、武術に長けた活発な女丈夫(じょじょうふ)だった。ただ、その具体的な描写は、稿を改めて後日の楽しみとしよう。

 ところで、両者の結婚にあたって、周瑜は呉(ここでは蘇州を指す)に壮大な屋敷を建設して、二人の門出を祝えばどうかと提案している。ただ魯粛は、さすがに賛成しかねていたようだ。

 一見耳当たりのいい話だが、その真意は劉備の軟禁である。美女と美酒、山海の珍味で劉備を骨抜きにしてしまう策戦だ。それは、劉備の力量を怖れてのことである。

 中には、一挙に殺害しろという過激な意見まであったらしいが、孫権が世間から信用されなくなることを怖れたようだ。また、関羽や張飛、趙雲の部将としての力が欲しいので、骨抜き策が支持されたとも言われている。

 だが孫権は、その策も容れなかった。

 殺害などしては、一緒に曹操を撃退した絆から、前者の言うごとく世間の信を喪う損失が大なのだ。実際、劉備のような野心家は、呉につなぎ止められるものではない。孫権の判断に、魯粛も同意見だった。

 そして魯粛は、更なる積極的な劉備の活用方を提案する。

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「「蜀の攻略を劉備殿に手伝ってもらう方が得策です」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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