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「何が同じ帝室の血だ!」

【105】第二十二章 魯粛5

2013年1月25日(金)

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【104】第二十二章 魯粛4から読む)

 大都督(だいととく・軍司令官)の周瑜は、卒する前まで呉(蘇州)にあって、孫権と軍議をしていた。

 それは、蜀の攻略についてである。

 「現在の蜀地方は、五斗米道の張魯(ちょうろ)と劉璋(りゅうしょう)が啀(いが)みあっている状態です」

 その昔、張魯の母親(美貌の巫女)と劉璋の父(劉焉・りゅうえん)は、懇(ねんごろ)であった。だが、劉焉が薨去(こうきょ)すると、張魯は劉璋と袂を分かった。怒った劉璋は、母親や弟を捕らえ処刑したのだ。

 このような経緯から、蜀は政治的に安定しておらず、今が進攻するに絶好の機会だと、周瑜は進言していたらしい。そして、彼が総ての指揮を取ろうとした矢先に、急逝したことになる。

 瀕死の周瑜が最期に臨んで口にしたのは、後任を魯粛にするようにとのことだ。

 孫権は、今際の言葉を尊重した。

 「劉備殿に、もう少し働いて貰いましょう」

 それが、従来からの魯粛の持論であった。そう思うと、劉備を毛嫌いしていた周瑜が頓死して、一見劉備に幸いしたように思える。

 だが、魯粛とて、決して劉備に寛容だとは言いがたい。それでも、劉備の要望を肯(き)いて、荊州南部の三郡を貸し与える旨を、孫権に諮って通した思い遣りもあった。

 これは、旧荊州(劉表)の家臣たちが、劉備のもとへ集まったので、食い扶持を与える意味もあったのだ。

 魯粛の策戦は、できるだけ曹操に対する敵を増やすことにあるのだ。このとき曹操は、袁紹が居城にしていたギョウ(業/大里)で、銅雀台(どうじゃくだい)なる宮殿を建設していた。それは、許都の御所より豪華だった。

 ところが、魯粛の劉備に対する扱いを聞いて、曹操は大いに焦ったらしい。それを裏付けるように、曹操は翌建安16年(211年)、関中へ兵を進めて韓遂と馬超の連合軍と戦って彼らを蹴散らしている。

 これは秦嶺山脈の、いわゆる「蜀の桟道」を通って、蜀地方への進攻を考えている布石と思えた。

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「「何が同じ帝室の血だ!」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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