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バラを摘む透明な生物

モーパッサン「オルラ」を読む(7)

2012年12月25日(火)

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透明人間

 今回は主人公は、ついに透明人間を見る。もちろん透明人間そのものを「見る」ことはできない。しかし薔薇園で、一本の薔薇を摘み、匂いをかぎ、また元の枝のところに戻すのを見たのだ。それで主人公は「今度こそ、ぼくは気が狂っているわけではないことを確認した」と考える。ぼくの中の分身がぼくを脅かしているのではなく、透明な身体をもつやつが、実際に動きまわっているのだ。

 「ぼくのすぐ側に、目に見ないものが存在するのは確実だったからだ。その目に見ないものは、牛乳と水で育ち、さまざまな物に触ることができ、それをつかみ、その位置を変えることができる。そのものは、ぼくたちの感覚では認識することができない物質的な特性をそなえていて、ぼくの家に、ぼくと同じように住んでいるのだ」と主人公は推論するのだが、それは正しい推論だろうか。

 その推論は主人公にとっても説得力に欠けている。自分の理性についての疑いが生まれるからである。多くの狂者はある一点だけを除いて、「人生のすべてのことについて、きわめて知的で、明晰で、洞察力を示していた」のだった。自分がそのような狂者ではないという保証はあるのだろうか。この透明な人間という妄想が、その「一点」になっているのではないだろうか。

 この疑惑に苦しめられている主人公は、やがて自分の意志そのものに支配されていると感じるようになる。出掛けようとしても出掛けられない。出掛けたくもないのに、庭に出てイチゴを摘み、食べなければならない。ぼくが自分の意志で行動できないとすると、そして意志が他者によって支配されているのだとすると、それでは催眠術にかけられた従妹と違いはないではないか。

 なお、冒頭の透明人間の描写は秀逸である。この作品は一八八七年に刊行されている。ウェルズ『透明人間』の刊行は、一〇年後の一八九七年である。それに同じように物が空中を浮遊することで透明人間の存在が暴かれる場面でも、モーパッサンのほうがはるかに優雅である。ウェルズでは次のように語られているのだ。

 「店では、客につり銭をわたすために主人が銭箱のふたをあけた。そのとたん、主人はすぐ身近に人のけはいがせまるような感じをうけた。
 『おやっ?』
 主人は、あたりを見まわしたが、もちろん、店さきでまだ卵を熱心に見くらべている客よりほかに、だれもいなかった。
 主人が銭箱からつり銭をつまみだそうとすると、さっと銭箱の中のひとつかみの金貨が空中へ舞いあがった。
 『きゃっ!』
 主人は悲鳴をあげて、舞いあがった金貨のゆくえを見まもるばかりだった。主人の悲鳴におどろいた客も、空中をとびながら店をでて大通りへ金貨が逃げていくのを見ると、すっかりたまげて、つり銭もうけとらず、いちもくさんにわが家へ逃げていった。」(海野十三訳)。

 それではモーパッサン「オルラ」の七回目をお読みいただこう。

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「バラを摘む透明な生物」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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