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「河北から流れてきた劉備が後ろ盾になっているらしい」

【106】第二十三章 黄忠1

2013年1月28日(月)

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【105】第二十二章 魯粛5から読む)

 『三国志』の前半では、荊州(けいしゅう・河南省の西南部から湖北省と湖南省を含む)なる地域が、曹操や、孫権、劉備にとって軍事的に重要な場所となっていく。

 永らく統治者だった牧の劉表は、あまり積極的に軍事行動を起こす性格ではなかった。それでも焦臭(きなくさ)くなるのが、時代の趨勢(すうせい)というものであろう。

 この地がことさら注目を浴びだしたのは、建安5年(200年)に起こった官渡の戦い以降である。中原から河北までを統一した曹操が、次ぎに目を付けたからだ。

 それは、荊州を攻略すれば、呉を長江上流から攻撃でき、蜀も窺(うかが)える。また、武関を通って関中(長安のある渭水盆地)への進撃も可能になるのだ。

 ここを抑えれば、それほど地の利がある。

 曹操は、以前から荊州を狙っていたが、拙劣にそちらへ進軍すれば、河北の袁紹に背後を突かれるから自重していた。だが、彼が病没して後継者たちを葬れば、北の脅威が消え去ったわけだ。

 それに、一時袁紹に付いていた劉備が、その身を荊州へ移していた。だから、彼に追い討ちをかけるつもりでもあったようだ。

 曹操が軍事行動を考え始めた頃、牧の劉表が病に罹(かか)って高熱を発した。このとき、曹操がにんまり嗤うような事態が出来(しゅったい)する。

 そこでも、長男劉キ(王/奇)と次男劉ソウ(王/宗)の間で、後継者の問題が解決してなかったのである。つまり、劉表がはっきり指名してなかったのだ。これでは、袁家の二の舞になろう。

 ところで黄忠は、もう十数年も以前から、荊州南部の長沙(ちょうさ)郡の攸(ゆう)県に将軍として駐屯していた。上司は劉表の甥、劉磐(りゅうばん)であった。

 彼らが拠った臨湘(りんしょう)は、現在の湖南省(省都)長沙で、当時はまだ未開地の観が強かった。劉表の意を受けて彼らがこの地方へ来たのは、長沙太守の張羨(ちょうせん)、張懌(ちょうえき)らの反乱を鎮圧するためであった。

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「「河北から流れてきた劉備が後ろ盾になっているらしい」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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