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「劉備のやつ諸葛亮を三度も訪って迎えたそうだ」

【107】第二十三章 黄忠2

2013年1月29日(火)

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【106】第二十三章 黄忠1から読む)

 「諸葛亮(しょかつりょう)とやらの、入れ知恵らしいぞ」

 劉磐が言うのは、劉備が劉キ(王/奇)を荊州牧として推していることの経緯らしい。

 「劉ソウ(王/宗)様を推しているのが、元から荊州にいた豪族たちですから、客将として存在感を訴えるには、彼らに対抗する以外にないと存じますが」

 黄忠としては、他に何の理由も見出せなかった。そこを、劉磐は言い募る。

 「いや、劉キという男、確かに総領で相続権はあるが、身体が華奢で病気がちなのだ」

 劉磐は従兄だから、内部事情には詳しい。だが、虚弱体質の劉キを支えるのであれば、劉備は男気のある好漢と言わねばなるまい。

 いや、そう見せかけるのが、諸葛亮とやらの策戦なのか? 黄忠には、大した策には思えなかった。

 「劉備のやつ、諸葛亮を三度も訪って、策士として迎えたそうだ。四十代半ばの劉備が、二十歳を幾つも出ない若造をだ」

 劉磐が言うのは、いわゆる『三顧の礼』の故事である。今日でも有能な人をスカウトする場合、何度も足を運んで「三顧の礼を尽くす」などと言う。

 だがこの場合、社会的地位の高い者(または年長者)が、新人(もしくは年少者)に対して依頼や勧誘する場合に限られる。立場が逆でこの慣用句を使うのは失礼に当たる。

 黄忠はこのとき、五十代後半だった。そう思うと、この程度の献策しかできないような若者を、師と崇める劉備の行為は全く理解の外だった。

 しばらくすると、長沙郡をはじめとする荊州の南部へ入ってくる人々の動きが顕著になった。それは取りも直さず曹操が荊州を侵略して、荊州牧側は防ぎ切れていないということになる。

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「「劉備のやつ諸葛亮を三度も訪って迎えたそうだ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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