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「我らにも蒙衝をお与え下さい。火を点けて突進いたします」

【113】第二十四章 呂蒙3

2013年2月6日(水)

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【112】第二十四章 呂蒙2から読む)

 それからの呂蒙は『孫子兵法』は言うに及ばず、『論語』も『春秋』も、時間が許せば読み漁るようになった。

 さて、彼の軍は長江の中流域へ展開することとなった。孫権の方針は、軍事行動を極力抑えるものだった。しかし、その中でも例外はあった。それは、父の仇討ちである。

 孫策と孫権の父孫堅(そんけん)は荊州へ攻め込んで、襄陽の郊外にあるケン(山/見)山で矢に射られて斃(たお)れている。矢を放ったのは誰か判らないが、隊長は黄祖(こうそ)なる男だった。

 それが判っているからには、黄祖を仇として追わねばならなかった。その黄祖は現在、江夏郡(湖北省東部)太守に収まって夏口(かこう・武漢)にいる。だから、そこを狙って程普や太史慈を攻撃させようとした。

 ところが、山越の部族が暴れだして、呉の背後が騒がしくなる。

 「黄祖のやつ、山越と裏取引してるんじゃなかろうな?」

 実際、呉の部将たちがそのように疑う程、時期が合致していた。この将軍たちは、撤収して山越に当たることになり、代わって韓当や呂蒙らが長江へ出るようになった。

 この頃、曹操は官渡の戦いで袁紹を破った後始末の最中だった。河北やその周辺を討伐し、中原の背後を固めていたのだ。それゆえに、荊州は嵐の前の静けさで、まだ余裕があったのだ。

 だが、曹操が河北を平定して荊州へ侵攻してくれば、牧の劉表も兵を長江へばかり割(さ)いてられない。更には彼の健康状態が悪化して、後継者問題で揺れているらしい。

 それは荊州を侵略しようとする曹操にとって、願ったり適ったりの状況だ。いや、黄祖を仇と付け狙う呉に取っても、お誂え向きの攻撃の条件である。

 やがて曹操が矛先を向ける頃、荊州牧劉表が他界し、主流派の次男劉ソウ(王/宗)が降服し、長男劉キ(王/奇)は劉備に連れられて長江を目指すことになる。

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「「我らにも蒙衝をお与え下さい。火を点けて突進いたします」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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