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「首を洗って待ってろと関羽に烈しい叱責を受けたとか」

【115】第二十四章 呂蒙5

2013年2月8日(金)

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【114】第二十四章 呂蒙4から読む)

 「関羽は、一筋縄で行く人物ではございません。一戦士としては、膂力(りょりょく)を恃んで押してきて、将としては知恵者です」

 そう言えば関羽は呂蒙に似て、成人してから勉学に勤しみ、今では『春秋』を諳(そら)んじているらしい。しかし、性格的には、大いに欠点があるとされている。

 「孫閣下(権)の妹御(孫尚香・そんしょうこう)が劉備殿へと嫁がれたからには、しばらく平穏であろうがな」

 これは政略結婚の典型で、武術に長けた(お転婆)と誉れの高い孫尚香を劉備に嫁がせたのは、孫権の厄介払いとも、いざとなれば刺客にするためだったとも言われている。

 魯粛が言うのは、今のところ表面的には、劉備から軍を向けることはなかろうとの意である。だが、呂蒙は、そのような時期であるからこそ、一挙手一投足に気を配らねばならぬと言う。

 それは関羽が、荊州の支配を既成事実化するため、住民に劉備の恩徳を説いたりすることまで含めている。

 「孫閣下は、都を呉(蘇州)から建業(けんぎょう・現在の南京)へ移されたが、それを警戒されてのことか?」

 「それもあるが、江西(こうせい・湖北省東部と長江左岸の安徽省中部)の民が大挙して呉領内へ逃げてきたことが主な理由だ」

 この時期、曹操は居城のギョウ(業/大里)に銅雀台なる宮殿を建て、魏国王になる準備で大童だった。だから、農民を勢力圏内へ囲うため淮水左岸(北)へ強制移住させた。

 住民は、それに反発したわけだ。ならば、遠からず長江左岸で新制魏軍との戦いは避けられない。すると案の定、呂蒙に戻るようにと、孫権から督促が来た。

 「濡須(じゅしゅ・巣湖と長江の間)を固めたいが、軍船だけで足りようか?」

 孫権が諮問すると、ほとんどの部将たちはそれで好しとする。だが、呂蒙は違った。

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「「首を洗って待ってろと関羽に烈しい叱責を受けたとか」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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