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「わたしは、袁熙の妻で良かった」

【116】第二十五章 甄后1

2013年2月12日(火)

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【115】第二十四章 呂蒙5から読む)

 「万が一のときには、そなたたちも、尚(しょう)を応援しておくれ」

 当主の袁紹が本拠地のギョウ(業/大里・河北省)で危篤という最中、妻の劉夫人は次男(熙・き)と嫁の甄(しん)氏に、何度もそう念を押した。

 「はい、それは無論です」

 夫に応えながら、彼女は溜息を吐く。劉夫人が言うのは、袁家の総領後継の話である。この当時の社会通念では、長子相続が普通であった。その流れなら、異母兄の袁譚(えんたん)に話が行ってしかるべきなのだ。

 しかし、彼は一度伯父の所へ、養子として袁家を出た経緯があった。それにともなって末っ子の袁尚が、袁紹に非常に可愛がられていた。しかも、劉夫人に似て眉目秀麗で、衣冠を整えても鎧姿も見栄えがしたのだ。

 甄氏の夫(袁熙)は、次男である。いや、母親の劉氏から見れば長男でもあった。しかるに、袁熙に対して、総領になれとは一切言わなかった。

 それは、袁熙の性格にも拠ったのだろう。彼は、そのようなことに拘らぬ質だった。いや、常日頃から権利や義務が付きまとう雑事は、できるだけ避けて通りたいと言っていた。

 父の袁紹もそれを見越していたのか、官渡の戦いの前年(199年)に、彼を幽州刺史に任じて赴任させている。彼は美女の誉れ高い嫁(甄氏)を連れず、姑(劉夫人)の世話をするよう言い置いて行った。

 甄氏自身も、それには頓着していない。持って生まれた美貌の割には、容姿に自信のある女特有の野心がほとんどなく、彼女は淡白な性格だった。だから、劉夫人から袁尚の後継に加担するよう督促されても、特に興味はなかったのが本音である。

 ましてや、袁紹が2年前(200年)に官渡で曹操に負けて、河北では反乱が相次いでいる。中には、敵方と通じて袁紹を裏切る動きが著しい家臣までいる。

 つまり、どう考えてみても、袁家は衰退の一途を辿(たど)っているわけだ。

 「袁家を盛り返すには、袁尚の力が必要です」

 劉夫人はそう言うが、今までも支えになっていたのは家臣群だったのは周知である。

 それが、張ゴウ(合/大里)と許攸(きょゆう)は曹操に寝返り、沮授(そじゅ)は曹操に処刑され、田豊(でんほう)に至っては、袁紹自身が処刑してしまっている。

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「「わたしは、袁熙の妻で良かった」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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