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「今にきっと、曹公が中華全土を統一されましょう」

【117】第二十五章 甄后2

2013年2月13日(水)

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【116】第二十五章 甄后1から読む)

 曹操軍が河北に入り、ギョウ(業/大里)が落ちれば、後は掃討だけになる。一旦、曹操に投降した袁譚も、結局は難癖を付けられて滅ぼされてしまった。

 だから袁熙も袁尚も、決して降服すまいと決心しているのかもしれない。彼らは遊牧民族烏丸(うがん)に身を寄せたが、そこを拠点とした再起も果たせず、最後は遼東太守の公孫康(こうそん/こう)を頼ったらしい。

 「だが寝返られて、仲良く処刑されたのだ」

 袁熙は、殊に潔く散ったと聞こえてきた。

 二人の死を知って、劉未亡人はさめざめと泣いた。だが甄氏は、特別に涙も出なかった。

 彼女は中山(ちゅうざん)郡の無極(むきょく)県から魏郡のギョウへ嫁いできた。美しい彼女を見て、袁熙は有頂天に喜んでくれた。だが、読書家で婦徳を前面に出すよう心懸ける彼女に辟易したのか、学問が不得手でのんびりした夫は、いつの頃からか彼女の夫たることを放棄するようになった。だから、単身幽州へ赴任していったのである。

 彼はその地で子を成しており、ギョウの袁家が滅亡した後も子孫が生き延び、唐の御代に宰相になったと記録にある。

 さて、河北が片付いた翌年(208年)、曹操は荊州を攻略していた。こちらも牧の劉表が病死して、長男の劉キ(王/奇)と次男の劉ソウ(王/宗)に分かれて、袁家と同様に後継を争っていた。

 だから、またも曹操はその混乱に付け入って、荊州に侵攻したのである。すると、荊州土着の豪族に支持されていた劉ソウは直ぐに降服して、曹操の荊州軍団となった。一方、劉キ側の客将劉備らは、長江右岸へ逃走して呉と結びだした。

 こうして曹操は、長江の烏林(うりん)で軍船をつなぎ、赤壁に布陣する呉の水軍や劉備の軍師諸葛亮らと対峙することになった。

 「今にきっと、曹公が中華全土を統一されましょう」

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「「今にきっと、曹公が中華全土を統一されましょう」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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