• ビジネス
  • IT
  • テクノロジー
  • 医療
  • 建設・不動産
  • TRENDY
  • WOMAN
  • ショッピング
  • 転職
  • ナショジオ
  • 日経電子版
  • 日経BP

「曹軍の張遼が、孫権閣下に見参しに参った」

【124】第二十六章 張遼5

2013年2月22日(金)

  • TalknoteTalknote
  • チャットワークチャットワーク
  • Facebook messengerFacebook messenger
  • PocketPocket
  • YammerYammer

※ 灰色文字になっているものは会員限定機能となります

無料会員登録

close

【123】第二十六章 張遼4から読む)

 張遼が部隊を見て回ると、火を消しながら右往左往している兵がいた。彼らは、やたらと外部を気にしている。

 「落ち着いて、座っておれ!」

 張遼が部隊内を見廻って叫んでも、なぜかそわそわしている輩がいた。張遼は、部下に彼らを捕らえさせた。そして厳しく訊問すると、陳欄と梅成から金銭を渡されていたことが判った。

 張遼は、即刻彼らを処刑して、部隊内の混乱を沈静化させた。そして返す刀で、陳欄と梅成が使嗾(しそう)したテイ(氏/一)族部隊への攻撃を考えた。

 彼らの兵力を観察し、于禁(うきん)と牛蓋(ぎゅうがい)の部隊の応援を要請し、彼らの到着を待って攻撃を加えた。このあたりの態度は、随分慎重だった。

 だが、一旦攻撃を加えると、テイ(氏/一)族部隊が壊滅するまで攻撃を止めなかった。そして、首謀者が深い山脈の中の高く険しい山に籠もっても、彼は攻撃をかけて陳欄と梅成の首を落としてきた。そこが、張遼の真骨頂である。

 彼の荊州攻略は成功したが、曹操は荊州南部で、いわゆる赤壁の戦いに敗北した。そのため、曹操軍は呉や劉備軍と、北と南で睨みあう膠着状態に陥った。

 ここで張遼が派遣されたのは、長江下流の右岸である。彼が拠った合肥(がっぴ)は、現在も安徽省の治所で、孫権が造営した新都の建業(南京)に、匕首を突き付けた格好になる。呉の孫権にとっては、目障りの一語であったはずだ。

 「孫権が、自ら攻めてくるそうだ」

 建安20年(215年)そのような噂が飛び交い、張遼が斥候を立てると果たして本当だった。孫権は十万の兵で合肥を包囲する策戦のようだった。

 「籠城して曹公の援軍が来るまで、ぎりぎり持ち堪えるような状況です」

 一緒に駐屯している将軍の楽進が、状況を説明する。だが、曹操は漢中(四川省に北)を遠征中で、援軍が到着するまでに20日はかかる。そのときまでに、合肥は壊滅しよう。

「サテライト「三国志」群像」のバックナンバー

一覧

「「曹軍の張遼が、孫権閣下に見参しに参った」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

日経ビジネスオンラインのトップページへ

記事のレビュー・コメント

いただいたコメント

ビジネストレンド

ビジネストレンド一覧

閉じる

いいねして最新記事をチェック

閉じる

日経ビジネスオンライン

広告をスキップ

名言~日経ビジネス語録

小池さんがこの言葉(排除)を述べたことで、「風」が変わっていきました。 ただし、小池さんが言ったことは正論です。

若狭 勝 前衆院議員