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「漢中王(劉備)は、慈悲深いお方だ」

【128】第二十七章 于禁4

2013年2月28日(木)

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【127】第二十七章 于禁3から読む)

 呉から南荊州を租借した劉備は、蜀(益州)の南部を攻略しても、約束どおり返還しようとしなかった。それゆえ、一時は軍事衝突して領有権を争っていた。だが、魏に漁夫の利を占められてはと、東西に分割して停戦した。

 ただ、これ以降、劉備(蜀)と孫堅(呉)は冷戦状態となり、積極的な連携は図られなくなっていく。それでも、呉では周瑜や魯粛が物故して、いわゆる主戦派は呂蒙だけとなっていった。

 その彼も病気で更迭され、抜擢された陸遜(りくそん)は、表面上の外交に礼儀を尽くして穏健な文書を関羽に送っている。

 これに気をよくしたのか、建安24年(219年)、関羽は北荊州の樊城(はんじょう)へ進軍してきた。これはある意味、軍事力が一番劣る劉備軍に焦りがあったからだ。

 「劉備め、内心で思っていることは判るぞ。『いつかは自分が中華の帝王になるから、荊州租借など、天下統一の一歩だ』とでも言うのだろう。それは、呉から南荊州の西側を奪った後ろめたさの裏返しだ」

 曹操が吐き捨てるように言うと、賈ク(言/羽)が状況を読んで言う。

 「髭自慢の将軍は北荊州へ侵攻して、その地から、呉と魏の双方を睨むつもりでございましょう。呉の締め付けが緩くなってきたので、背後を気にせず兵を動員したようです」

 「それならば、樊城の曹仁が苦戦しよう?」

 荊州も北部の宛県周辺は、魏王国が実行支配している所だった。

 「はい、軍兵の多さから、援軍が必要です」

 「では、于禁にホウ(广/龍)悳(とく)を付けて援軍に行かせよう」

 曹操に命じられ、于禁は三万を擁する総大将として出発した。このホウ悳なる部将とは、あまり面識はない。それを曹操が入れたのは、朱霊の連隊の替わりとしてだ。

 周囲からの報告では、やはり于禁は朱霊の連隊と全く反りが合わないらしい。于禁の性格なら、法を用いて全員を処断しかねない。だが、ここでそれを多用すれば、毎日でも処分者が出てしまう。

 それは、魏の軍隊として、決して得策ではなかった。だから、入れ替えが決断されたのである。

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「「漢中王(劉備)は、慈悲深いお方だ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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