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「あたしを劉キの所へ嫁がせるおつもりでしょう?」

【132】第二十八章 孫尚香3

2013年3月6日(水)

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【131】第二十八章 孫尚香2から読む)

 孫策の死後、妻の大橋は食が細くなり、枯木のごとく痩せて身罷った。夫との新婚生活は、1年とつづかなかったわけだ。とりわけ最期の姿は、哀れの一語に尽きた。

 それを直(じか)に見ていた孫尚香は、今の世に結婚という形式へ、ますます期待も興味もなくなっていった。

 曹操の脅威が迫ってきたのは、彼女にそのような背景があったときだった。曹操が本格的に荊州を侵すと、一方で荊州の相続を主張していた劉ソウ(王/宗)は、あっさり降服し、麾下の軍は曹操軍に編入されていった。

 呉軍はその微妙な時期に夏口を攻撃し、守備隊長だった黄祖を討った。このとき、孫尚香は現場に居あわすことができず、悔しさのあまり、孫権に厳しい苦情を言った。

 荊州の北半分は、しばらくすると曹操軍の支配下に入っていく。

 劉備が、荊州牧(劉表)の長男劉キ(王/奇)の後見人になって、呉との連携を探ってきた。彼には策士の諸葛亮が付いていて、その意見に従っていたと思われる。

 呉での論議も、一通りではなかった。また下火になったとはいえ、曹操に臣従して貢物だけを贈ればどうかとの意見も、依然としてあった。

 極端な意見では、「小橋か孫尚香を、曹操に娶(めと)らせればどうか?」などとも言われたが、孫権は端から取り合わなかった。

 ところで、孫権の重臣の一人に、諸葛瑾(しょかつ・きん)なる人物がいたが、彼は諸葛亮の実兄であった。そして、実弟の諸葛亮が劉備の使いとして呉を訪れたとき、孫権は諸葛瑾に提案をする。

 「弟殿を説得して、呉に取り入れることはできぬかな?」

 「我が呉を裏切らぬように、弟も劉備殿を裏切らぬでしょう」

 諸葛瑾の応えに、孫権は笑って諦めた。

 後日、劉備の正式な使節として彼が来て、曹操に対抗する用意を語った。孫権は周瑜らに諮ってその申し出を受け、赤壁へ水軍を終結させることとなる。

 孫尚香も、このときばかりは、異母兄へ同道を頼み込んだ。どの連隊にも属さず、諸葛瑾、魯粛、呂蒙、周瑜ら参謀以上の者の命には絶対服従を条件に、願いは許された。

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「「あたしを劉キの所へ嫁がせるおつもりでしょう?」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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中谷 巌 「不識塾」塾長、一橋大学名誉教授