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「袁家や荊州殿のことを考えていました」

【139】第二十九章 賈ク5

2013年3月15日(金)

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【138】第二十九章 賈ク4から読む)

 曹操は、軍閥の統領の中では風変わりだった。少なくとも、賈ク(言/羽)はそう思っていた。それは、文に対する態度である。

 もともと『孫子』に注釈を付けるなど、彼の読書家ぶりは、夙(つと)にしられていたことだ。それが、ギョウ(業/大里)に銅雀台という宮殿を造営してからは、詩歌を詠ずるようになった。

 詩作については、以前甄(しん)后の章で述べた五言詩である。曹操は、蔡エン(王/炎)に琵琶を演奏させ、建安の七子らに競詠させた。そこで好成績を挙げるのは、常に卞(べん)夫人の三男(曹植)であった。

 最年長の公子曹丕は、常識的な凡作しかできず、次の曹彰は、端から学問より武道にのみ長けている無骨の士だった。

 だから曹操は、文才豊かな曹植に家督を譲ろうと、本気で考えていた節があった。そういう雰囲気は周囲に伝わり、曹植の側近が宮中肩で風を切って歩くようになった。

 そんなおり、賈クは曹丕から相談を受けていた。それは曹操の胸中と判断についてであったが、賈クは慎み深く、日常を変えずに行動するよう自重を促した。

 つまり、近日中に曹操から諮問を受ける自信があったからだ。

 「おまえの考えを、訊きたいのだが?」

 曹操に問われたとき、賈クはわざと応えなかった。

 「どうした?」

 曹操が焦れて二度目に問うたとき、賈クはようやく応える。

 「少し、考え事をしておりました」

 「はて、何を……?」

 「はい、袁家や荊州殿(劉表)のことを」

 曹操はそう言われて、はっとした。袁紹や劉表は、後継を長男と二男三男が、相争って滅んでいったからだ。

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「「袁家や荊州殿のことを考えていました」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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