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「荊州を実質的支配したのは我々だ」

【147】第三十一章 馬謖4

2013年3月28日(木)

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【146】第三十一章 馬謖3から読む)

 「赤壁の戦い前まで劉表の荊州は呉と対立しており、それ以後は曹公に靡(なび)いたのだ」

 「そうだ。それを呉へ帰順するよう戦ったのは、劉益州牧(備)でございます」

 「そうであれば、もう少し租借しても、決して罰は当たるまい」

 「そのとおり。せめて、漢中から桟道を越えた関中を制圧するまでと、要求を突き付けましょう」

 劉備も諸葛亮も、いかに荊州を返還しないかを考えていた。馬良は『信義に反する』と内心思いながらも、口にはできなかった。

 馬良は劉備らの口上を関羽に伝えるため、また江陵へ出向いた。

 「当然の理屈だ。荊州を実質的支配したのは我々だと言うことを、おまえも忘れるな」

 関羽は馬良を睨みつけるように言う。

こうなると呉も黙っておらず、荊州で関羽の軍と呉軍が対峙し、一触即発の状態にまでなった。これが長引けば、魏に利する。

 事実曹操は、濡須江(じゅしゅこう)を張遼に攻撃させて孫権を脅かした。また、関中(長安がある渭水盆地)へは夏侯淵を出撃させて、ついには韓遂に止(とど)めを刺した。

 こうなると、蜀の桟道を通って魏軍が漢中(益州北部)へ侵入して来かねない。それゆえ関羽は呉軍と協定を結び、湘水を境に東西に分けることとなり、表面的には友好を保てた。それでも、双方に痼(しこ)りは残る。

 その後、魏が王国に昇格して曹操が魏王になると、孫権が臣下の礼を取りだした。その上、魯粛が病没すると、呉と劉備や関羽を取りなす者がいなくなり、両者はだんだん疎遠になっていった。

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「「荊州を実質的支配したのは我々だ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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