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「鍾ヨウを前軍師とする」

【150】第三十二章 鍾ヨウ2

2013年4月2日(火)

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【149】第三十二章 鍾ヨウ1から読む)

 鍾ヨウは、安閑としていられなかった。彼は宮廷人でありながら、曹操の参謀、いや、外交係りの一人になったのである。もっともそうせねば、許都へ移された皇帝協の身が安泰にならぬからだ。

 彼が曹操側に付いてからも、張繍の反乱で曹操が危機に陥ったり、呂布の処刑、公孫サン(王/贊)の敗死、袁術の病死などの事件が周囲では相次いだ。

 だが、一番肝を冷やしたのは、皇帝周辺による謀反事件だった。これは、曹操による監視が厳しく、皇帝協が曹操追討令を出したとされるもので、劉備も一枚噛んでいたらしい事件だ。

 疑われた劉備は逃亡して袁紹側へ身を投じ、関羽と甘夫人が曹操に捕らわれた。他にも、宮廷人で処刑の憂き目に遭った者も多かった。

 鍾ヨウがこの事件に巻き込まれなかったのは、関中(長安のある渭水盆地)へ使いに行っていたからだ。この地、特に長安は、官僚として巡察もし、地方の豪族たちとも面識があった。その彼の任されたのは、韓遂や馬超といった軍閥たちとの友好関係である。

 曹操は、呂布を攻めるあたりから、背後の西方を気に掛けていた。それが関中の韓遂や馬騰である。

 無論、河北に位置する袁紹も気になるが、当時の彼はまだ公孫サンと最後の決戦をしていた。それゆえ、曹操を脅かす危険性はなかったといえる。

 また、南方の孫策も、まだ周囲を平定している最中だったため、こちらもそれほど心配はなかったのだ。それは、西南の荊州(劉表・あまり戦闘的ではない)も同じだった。

 それよりも、一番気を遣ったのは韓遂と馬超だったのだ。当時は李カク(確の石を人偏)や郭シ(三水偏/己)は消えており、関中は彼らの独擅場(どくせんじょう)だった。

 「曹公は、あなたがたと誼を通じたく、我に馬の買い付けに行くよう命じられまして」

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「「鍾ヨウを前軍師とする」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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