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「やつとしてはこれで筋を通したつもりらしいな」

【151】第三十二章 鍾ヨウ3

2013年4月3日(水)

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【150】第三十二章 鍾ヨウ2から読む)

 曹操が河北を平定すると、中原がより安定した状態となった。だが、以前董卓に焼かれた洛陽は未だ廃墟の状態から立ち直ってはいなかった。

 さすがに焼け木杭(ぼっくい)などは、残っていない。戻った住民が、燃料の薪として使ったからだ。新しい家屋も少しは建っていたが、最も不足していたのは人手だった。

 無理やり長安へ連れて行かれた者たちで、もう一度戻りたい者や、流民となっていて定住したい者らを、鍾ヨウは集めて住めるよう取り計らってやった。

 こうして洛陽は、鍾ヨウの力で形を整えていくようになったのである。それは曹操にとっても、中原の拠点として重要だった。彼はその後、荊州への進出を考えていたからだ。

 そして、赤壁の戦いを迎えるわけだが、鍾ヨウはそちらへは出向かなかった。洛陽と関中に神経を注いで、そちらからの侵略がないよう調整に務めたのである。

 その中で、彼がどうしても汚点と感じている出来事が起こった。それは、平陽で斬首した郭援の後任であった。つまり、河東郡太守の座だ。

 このように言うのも訝(いぶか)しい話だが、もともと河東郡太守は王邑(おうゆう)という人物であった。だが、官渡の戦い前後の混乱で、彼は太守としての任務を全うできなかった。

 つまり、袁紹と曹操のどちらからの要請も肯(き)けないという態度を通したのだ。だから、袁紹死後に袁尚が、独断で郭援を河東太守に任命して遠征させたのである。

 その郭援は、鍾ヨウが処刑した。曹操は、その功績を奏上して、鍾ヨウに河東郡太守を選ばせ、杜畿(とき)なる人物が新たに印綬を帯びたのであった。

 ところが、王邑は優柔不断なのか毅然としていたのか不明だが、人々には人気があったらしい。そのうえ、宮廷人らにも顔が利いたようで、中郎将の范先(はんせん)らが王邑の留任を要請してきた。だが、このときには杜畿が任地に入っていたので却下した。

 「王前河東太守(邑)殿は、速やかに印綬を我に戻したまえ」

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「「やつとしてはこれで筋を通したつもりらしいな」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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