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「夜な夜な若い妾と戯れているのならもう少し…」

【153】第三十二章 鍾ヨウ5

2013年4月5日(金)

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【152】第三十二章 鍾ヨウ4から読む)

 建安25年(220年)は、曹丕の魏王即位で延康(えんこう)元年となり、皇帝協から禅譲を受けて魏帝国皇帝に即位して、黄初元年となった。

 この節目の日、天候は快晴だった。それゆえか、鍾ヨウは太尉(軍を統括する大臣。名誉職)に返り咲いた。それは、新しく皇帝になった曹丕が恩に報いたのである。

 いや、それだけではなく、鍾ヨウの弟や息子たち2人、孫までも侯(貴族)に取り立てている。これは、破格の扱いであった。

 彼への特別扱いは、他にもあった。

 鍾ヨウは無論のこと、妻帯して後庭も設けている。だから、既に息子たちがいるのだ。その彼に、張氏なる妾を世話したのである。一説には、後宮の美女を一人与えたとも言われる。

 その義理からというわけでもなかろうが、鍾ヨウは彼女を特に寵愛した。もっともこのときに彼は、齢がすでに古希に達していた。だが、毎夜張氏が夜伽に着いたらしい。

 そしてあろうことか、黄初6年(225年)に男子が生まれた。名は会とされる。
 当然ながら、都人士や宮廷人の噂にのぼる。

 「御盛んですな」

 こう言えるのは、彼と同輩や皇帝丕ぐらいなもので、ほとんどは「年甲斐もない」という陰口である。

 鍾ヨウ自身、心に秘めた矜持と、面映ゆさと、羞恥が入り混じった複雑な心境だった。ただ、「狒々爺(ひひじじい)」と言われるのだけは避けたかった。

 だから、息子の鍾会が生まれて以降、鍾ヨウの性格はかなり堅くなった。つまり、規則の運用などがやたらと厳しくなったのだ。

 「夜な夜な若い妾と戯れているのなら、もう少し粋な計らいをすればどうだ?」

 宮廷人や官僚らが内心鍾ヨウを詰(なじ)りながら、翌年(226年)を迎えた。

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「「夜な夜な若い妾と戯れているのならもう少し…」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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