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「漢皇帝はこの御位を魏国王にお譲りいたします」

【154】第三十三章 献帝(劉協)1

2013年4月8日(月)

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【153】第三十二章 鍾ヨウ5から読む)

 皇帝協は、この日が来ることを、即位した日から薄々は覚悟はしていた。しかし、実際に来てみると、未練な気持になってしまう。

 延康元年(220年)10月、そう思いながらも、皇帝協は禅譲台と呼ばれる儀式用の丘へ上がってみた。これは許都の郊外に、魏が奴隷どもを使って運んできた土を搗(つ)き固めて造った俄拵(にわかごしら)えの茶番劇の舞台だった。

 「漢皇帝協は、この御位を、謹んで魏国王丕殿にお譲りいたします」

 そのような白々しい台詞(せりふ)を並べても、内容は魏が漢に取って代わるということに他ならない。ただ、200年余り前に王モウ(葬の死が犬)が新を建国したときは、(前)漢を簒奪(さんだつ・不法に奪い取る)したと言われた。

 それは、この禅譲の儀式を怠ったからである。禅譲(ぜんじょう)とは、皇帝が位を降りるとき、嗣ぐ者を血統に拠らず、人格優秀な者を見込んで譲ることをいう。

 古代の聖帝と言われる堯(ぎょう)は舜(しゅん)に、そして舜は禹(う)へ禅譲で皇位を子供でない第三者に譲った。それゆえに、これが理想的な皇位継承とされている。

 それを、血統による継承としたのは、三番目の禹であった。彼は伝説の国家である夏(か)起こした。そこで元首の称号を王として、その国がつづく限り血統による王位継承がつづいたのである。

 だが、桀(けつ)王が出て暴虐の限りを尽くしたため、殷の湯(とう)王に取って代わられたのだ。ここで国名が変わるが、これは革命と呼ばれた。これは、天帝からの命(めい)が革(あらた)められるという意だ。

 もう少し詳しく言えば、天帝が、地上を治めるべき立派な血統を伝えられる者にするよう、命を革めるというわけだ。その殷も代を経て、暴虐な紂(ちゅう)王が出たため、今度は周の武王がこれを滅ぼした。

 周が乱れて春秋戦国時代となり、それは秦の始皇帝に再統一された。

 このとき、皇帝という称号が再び登場し、以後、中国の国家元首の地位名として定着する。ついでにいえば、皇室の姓も易(かわ)っていく。それゆえ、このような国家の交替劇を『易姓(えきせい)革命』と呼ぶわけだ。

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「「漢皇帝はこの御位を魏国王にお譲りいたします」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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