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「ありがたき援軍に、感謝いたします」

【155】第三十三章 献帝(劉協)2

2013年4月9日(火)

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【154】第三十三章 献帝(劉協)1から読む)

 山陽国(河南省北部。黄河左岸)でのんびりしていると、ようやく昔のことが脳裏を過(よ)ぎるようになった。これまでは皇帝として、いつ何どき暗殺の憂き目に遭(あ)うか? そればかりが気になった。

 だが、皇帝位を離れてから、生命の危機は遠ざかった。つまり、劉協の身分は一代限りで、誰にも譲れない。だから、殺す価値などない存在になったのだ。

 かつては傀儡皇帝として、軍閥に権威を与えることで重宝された。だから、それに肖(あやか)りたい軍閥から奉(たてまつ)られて、いいように利用されていた。

 それがようやく柵(しがらみ)が外れて、世の流れの岸部近くに身を置けた思いがしている。それゆえ尚も、我が身のことをじっくり振り返る余裕ができたと言える。

 劉協自身は、霊帝(れいてい・劉宏・在位168年~189年)と王美人の間に光和4年(181年)に生まれている。当時は、何皇后が産んだ史侯(劉弁)が10歳で、どう足掻(あが)いても、彼が将来皇位に即く望みは薄かった。無論、嬰児だった劉協にとっては、大人の宮廷人の思惑に過ぎない。

 それでも時代は、太平道が盛況で大きく乱れており、尋常に推移する世ではなかった。劉協への禍(わざわい)は、まず、母の暗殺という形で降りかかってきた。

 彼は董太后(とうたいごう・皇帝宏の生母)の愛情で育てられたが、次に不摂生な父親の霊帝が崩御して、この直後に史侯が即位した。すると、董太后が暗殺され、彼の肉親はことごとく絶えた。

 一方、何皇后の後ろ盾、何進(かしん)が宦官どもに暗殺され、その宦官どもを袁紹と袁術が殺戮(さつりく)した。修羅場と化した宮中からは、侵入した兵士の怒声と宦官の断末魔の叫びが谺していた。

 そのとき陳留王の位にいた劉協は、後宮の片隅で女官たちに庇われながら、状況が判らずただ怯えていた。

 皇帝側近の宮廷人崔烈(さいれつ)と宦官の頭目張譲(ちょうじょう)らは、頃合いを見計らい、皇帝弁と陳留王協を連れて宮廷から、小平津へ向けて脱出逃亡した。

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「「ありがたき援軍に、感謝いたします」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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名和 利男 サイバーディフェンス研究所上級分析官