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この直後卑弥呼の使節が魏皇帝に拝謁の栄誉を賜った

【163】第三十四章 公孫淵5

2013年4月19日(金)

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【162】第三十四章 公孫淵4から読む)

 「今度は、大司馬(軍の最高司令官待遇)の地位と楽浪公(楽浪という尊称で、領主貴族の最高位)なる身分を与えてきよったぞ」

 それは張弥(ちょうび)と許晏(きょあん)の首を魏都洛陽へ贈った見返りである。

 『我を、呉の地方王にしようとの話を持ちかけてきた不届き者ゆえ、成敗いたしました』

 首を入れた桶には、このような添え書きがあったらしい。知らせを聞いた皇帝叡は、露骨に顔を蹙(しか)めたらしいが、怒るわけにもいかず、形式的な論功行賞に留めた。

 一方の孫権は怒るまいことか、『老鼠(ねずみ)の首を斬って、海へ叩き込んでやる』と息巻いた。その腹癒(はらい)せや八つ当たりで、彼は魏軍が守る合肥新城(がっぴしんじょう)へ、軍船を仕立てて出兵した。

 魏の将軍は満寵(まんちょう)で、かつて樊城にて曹仁が関羽に囲まれた際、洪水で弱気になった守将(曹仁)を、傍で励まして耐え抜いたことがあった。

 彼も、遼東へ行った呉の使いが、首を刎ねられた事件の詳細は知っていた。それゆえ、孫権の気持を推量していた。

 「気晴らしの親征(しんせい・元首が自ら陣頭指揮をする遠征)だ。本気で攻めては来ないから、必ず軍船から降りよう」

 満寵の読みどおり、孫権が下船したところを魏軍から一斉攻撃を受け、呉の元首は這々の体で退却した。

 この翌青龍2年(234年)、諸葛亮が5度目の北伐を仕掛けてきた。彼の指揮する蜀軍は、関中の五丈原に陣取って籠城態勢を取った。いかにも魏軍を引きつけるので、呉軍に侵攻せよと呼びかけるような策戦だ。

 これに呼応して、確かに呉も出兵したのである。だが、孫権は前年満寵にしてやられ、随分及び腰になっていた。五丈原のようすを見て、蜀軍が優勢になったら攻め込もうと言う程度の考えしかなかった。

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「この直後卑弥呼の使節が魏皇帝に拝謁の栄誉を賜った」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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