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花と毒蛇

ホフマン「大晦日の夜の冒険」を読む(1)

2013年2月19日(火)

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第三類型の分身小説

 さて、いよいよ最後の第三類型の分身小説を読んでみよう。精神分析の理論によると、心には三つの審級がある。超自我、自我、エスである。フロイトによると、人間の心はこのようにいくつもの審級に分割されていて、それぞれが自我のうちで主張するのである。人間の心はいくつもの分身を抱えているのだ。

 超自我は、自我理想から生まれた審級であり、父親に同一化して、自我に道徳的に行動するように強制する。ポーの「ウィリアム・ウィルソン」の小説に登場する「あいつ」は、この超自我の審級が外部に独立したものだった。モーパッサンの「オルラ」に登場する「あいつ」は、原形である「あいつか?」が明らかにしているように、自我とは異なる自我が、自我の外部に独立したものだった(少なくとも最初の頃はそのように考えられていた)。この別の自我は、ポーの場合とは異なり、超自我の良心の役割を果たすことはない。ただ別の自我として、もとの自我を脅かすし、ついに狂気に追い込んで、自宅に放火させ、雇っていた女たちを焼き殺させるにいたるのである。

 これにたいしてエスというのは、人間の心の無定型の欲望の審級である。自我は「心的なプロセスの一貫性のある組織」[1]であり、そもそもエスから誕生してきたものである。これはフロイトがニーチェにならって、人間の心の無意識的な審級を「それ」(エス)という名前で呼んだのである。自我は、現実にたいして無制限な欲望を満たすことはできないことを認識しているので、現実原則に従う。これにたいしてエスは、快感原則にしか従うことがない。現実のいかなる制約も無視して、みずからの欲望を満たそうとするのである。エスは欲動の審級なのである。

[1]フロイト「自我とエス」。中山元訳『自我論集』ちくま学芸文庫、210ページ。

二つのパターン

 分身小説においては、この欲望を追求するエスが、現実原則に従おうとする自我と対立し、分身となることが多い。これが分身小説の第三類型である。この類型で重要なのは、みずからの欲望を実現しようとする主人公が、たとえ暗黙のうちでも、他者と何らかの契約を結んで、分身を作りだすことを承認するということである。

 この場合に、二つの種類の分身が登場する。この類型を「欲望とその影」と呼ぶが、エスの欲望がもとの自我の位置を奪い、自我が影となって分身の地位を占める場合と、エスの欲望が分身となって独立し、自我がもとの位置にあって影のようになるかのどちらかである。

 第三類型の分身小説では、多くが第一のパターンをとる。欲望に苛まれた主人公は、自分の影をある者に売り渡して自分の欲望を自由に満たせるようになる。この主人公は快感原則を自由に追求できるのであるが、その代償が影を失うことである。ホフマンのこの「大晦日の夜の冒険」もまた、この第一のパターンを継承している。

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「花と毒蛇」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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