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「孫策様は、おまえをお召し抱えになりたいのさ」

【164】第三十五章 張昭1

2013年4月22日(月)

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【163】第三十四章 公孫淵5から読む)

 現在、徐州と言えば、微山湖の南で江蘇省北西部に位置する都市を指す。古くは彭城(ほうじょう)といい、徐州は江蘇省の北部一帯の広い行政範囲を指した。州の下が郡(地方王を封じた国になっている場合もある)で、中に幾つか県が集まって構成していた。

 張昭は、この徐州彭城国の治所(政治の中心地)なる彭城県の出身である。

 彼は永寿2年(156年)の生まれと言うから、曹操より一歳若いことになる。学問を良くするうえに能書家で、知謀にも長けていたから、度々読書人と議論も戦わせた。

 しかし、聡明だが変わっている者の常として、孝廉に推挙されても都(洛陽)へ登らなかった。官職にありつきたくてうずうずしているようすを、軽蔑していたからだ。

 これは、道家思想の影響であろう。つまり人としての理想を、無為自然を窮めて羽化登仙した仙人に求めたのだ。だから、下世話な日常に汲々としている俗臭を嫌ったわけだ。
 当時の知識人に流行した態度である。乞われて勧められて、仕方なくその地位に就くことが持て囃(はや)されたのである。劉備が諸葛亮に対して三度も訪問した『三顧(さんこ)の礼』も、そのような背景から生まれた逸話かもしれない。

 さらに言えば、三国時代末期に出た『竹林の七賢』の清談の流行も、この延長上にあるといえよう。

 「先君の諱(いみな・本名)を避けるのは、臣下や百姓(ひゃくせい・庶民)の礼儀であろうが」
 「それはそうだが、精々五代、六代程度だろう。あまりにも厳密に詳しく言い募れば、文字がなくなって誰も名前は付けられぬ」
 「それでは、聖帝である堯や舜、禹は良いということにもなりかねんぞ」
 「そこまで有名ならば、名前負けもいいところだ。終生周囲から嗤われよう」

 当時、このような議論が活発で、張昭も大いに参加したらしい。確かに、中国における皇帝の諱は重いようで、書物での表現では別の文字を宛てる場合が多々あった。

 後漢の明帝(劉荘)の諱である『荘』と、同じ苗字の荘助(そうじょ)や荘尤(そうゆう)は、『漢書』に厳助、厳尤と表記されていることは、以前述べたとおりである。

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「「孫策様は、おまえをお召し抱えになりたいのさ」」の著者

塚本 青史

塚本 青史(つかもと・せいし)

作家

1949年岡山県倉敷市生まれ。同志社大学卒業後、印刷会社に勤務。イラストレーターとしても活躍。日本作家クラブ理事。父、塚本邦雄創刊の歌誌「玲瓏」発行人。近著に『李世民』。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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