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鏡像を奪われた男

ホフマン「大晦日の夜の冒険」を読む(5)

2013年3月19日(火)

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 この第三類型には、欲望型と影型があることは確認した。欲望型は、エスが主人公を乗っ取ってしまい、自分の欲望を満たす一方で、自我は影となって沈黙している。シャミッソーの『影をなくした男』では、自我は影となって悪魔に奪いとられ、悪魔のポケットの中に「ちゃんと保管」[1]されているのだった。そして悪魔は影をポケットからとりだして主人公にみせびらかす。悪魔が動くと、影もその動きにともなって動くのであり、影はたんになくしたのではなく、悪魔に奪いとられ、悪魔のものになっていることが分かる。

 これにたいして影型では、影のほうがエスの欲望を満たし、主人公は影のようになってしまう。ドストエフスキーの『分身』(『二重人格』)では、主人公の分身が最初はおずおずと登場してくるが、すぐに主人公の地位を奪ってしまい、主人公はやがて精神病院に送り込まれるのだった。主人公が何らかの契約を締結していれば、この小説は第三類の影型の典型だったことは、すでに指摘したとおりである。

 この影型の小説として思い浮かべることができるのは、アンデルセンの『影』だろう。北欧から南国(おそらくイタリア)にやってきた学者は、宿泊している宿屋の向かい側の家の様子に好奇心を抱いている。ある日バルコニーでうたた寝していて目を覚ますと、「向かいの家のバルコニーから、何かすばらしい光が届いてくるように思われました。バルコニーでは、どの花も、実に美しい色で炎のように輝いています。そしてその花々にかこまれて、すらりとして、かわいらしい娘が立っていました。その娘も光り輝いているように見えました。男は目がくらみそうでした」[2]

 学者はその家を訪問したいと思うが、入り口も分からない。ある晩にバルコニーに立っていると、背後の部屋から照らす明かりで影が向かいの家のバルコニーで座っているのが見える。そこで影に語りかける。「見てごらん、あんなに行儀良く花の間に座っている。でも、ドアが半分あいているから、影は見つからないようにそっと中に入っていって、あたりの様子をさぐって見る。そして、何を見てきたかぼくに話すんだ。そうさ、お前だって少しは役に立たなくっちゃ」[3]

 そして主人公は影に中に入るように促す。「そう言って男が影にうなずいて見せると、影もまたうなずき返しました。さあ、入っていくんだ。でも、いなくなるなよな」[4]。このようにして主人公は隣の家を訪れたいという自分の欲望を満たすために、影を向こうの世界に送り込む。このときにうなずきと命令が、この物語の第一の「契約」に相当するものとなる。悪魔のような第三者とではなく、主人公が影と契約をするのは、珍しい例と言えるだろう。

 翌日の朝、学者が外にでると、自分に影がないことに気付く。「影がない! あいつは夕べ出かけてったまま、まだ帰ってきていないんだ。まったくもう、困った話だ」[5]。学者は困惑するが、この物語では、影は再生することになっている。「暑い国では、なんでもとびきり早く育ちます。八日もたつと、おもしろいことに、男が陽射しに出ると、新しい影が脚のあたりから生えてくるようになりました。きっと根っこが残っていたに違いありません」[6]

 学者は新しい影とともに故郷の国に戻り、平穏な暮らしに戻ることができるのである。しかし物語はこれで終わらない。かつて別れたきりの影が戻ってくるのである。学者にはすでに影があるから、影は学者と一体になることはできない。そして影もそれを望んでいないのである。

[1]シュミッソー『影をなくした男』池内紀訳、岩波文庫、70ページ。
[2]『あなたの知らないアンデルセン 影』長島要一訳、評論社、12ページ。
[3]同、14ページ。
[4]同、14-15ページ。
[5]同、16ページ。
[6]同。

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「鏡像を奪われた男」の著者

中山 元

中山 元(なかやま・げん)

哲学者、翻訳家。

1949年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。

※このプロフィールは、著者が日経ビジネスオンラインに記事を最後に執筆した時点のものです。

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